人生を成功せる最大の秘訣は自分を愛すること=自愛なのです。
自愛メソッドは、自分を愛することで人生を成功に導くメソッドです。


小野高弘さん


『大震災とクローン病が教えてくれたこと』


小野 高弘

わたしは、20歳の頃からお腹の調子が悪く、24歳の時にクローン病と診断されました。ちょうど、阪神淡路大震災が起きた時で、茫然としながらベッドの上でテレビを眺めていたのを覚えています。

入院したその日から、絶食になり点滴で過ごすことになりました。内視鏡などの各種検査を受け、診断されたのが特定疾患のクローン病です。病変は口腔から肛門までの消化管のあらゆる部位に起こり、主に小腸と大腸に多く、症状は、下痢、腹痛、下血、発熱、貧血などです。「えっ」・・・先生の言っていることが理解できませんでした。当分の間、絶食そして原因不明の病気・・・。

その頃は、まだ結婚したてで元妻が看病してくれました。一緒の時は、強がっていますが、夜、一人になると不安と恐れから泣いていました。3か月の点滴生活で病状が落ち着いたのを期に、東京の大学病院に転院することになりました。4月末には、子供も生まれ、1か月の自宅療養を経て6月から仕事に復帰しました。

2、3年はそつなく仕事をこなしていましたが、どこか病気を抱えていることを受け容れられず、自分では気付かずに自暴自棄になっていきました。
ギャンブルで借金を作り、それが家族に発覚し2週間の失踪。二度とやらないと約束しながら、またギャンブルに溺れ、2002年の春に離婚。
病状も悪化していて、狭窄になり半年後には入院そして手術することになりました。

手術は、2003年の2月に実家の八戸の病院で行いました。患部を切除すれば、病状は良くなるだろうと思っていましたが、術後の経過が悪く食事を取ると腹痛をおこし、違和感がありました。早く社会復帰したい一心で違和感を隠して6月に退院しました。

無理はいけませんね。温泉に入って部屋の片づけをして寝た翌朝、傷口に膿が溜まって腹痛をおこし、2日後に再入院になってしまいました。

さらに、悪いことが続いて膿瘍が破裂して皮膚ろうを形成してしまいました。
お臍の下にろう孔といって穴が出き、食事を取ると漏れてくるので、また点滴生活です。3か月間、様子をみましたが、ろう孔が塞がる気配はなく、この病院では再手術は出来ないと先生から言われ、経静脈栄養療法と言って胸にカテーテルを埋め込んで在宅で高カロリーの点滴を流し栄養を取って生活するしかないと先生に言われました。

今回も泣きました。両親と一緒に泣きました。約10ヶ月間、入院して退院出来るのが点滴を背負い、お腹にはストーマを付けて生活しなければいけないという現実。
しかも、休職して1年が経ち社会復帰しようと思っていましたが、仕事も辞めることになりました。
八方塞がりです。それでも、食事を抑えて生活していれば治ることを心に思い、生活していました。

一、二年と時が過ぎても、代わり映えのない生活。点滴をしているので、身体が冷えているのでしょう、二時間置きのトイレ。食欲、睡眠が満足に得られないため、情緒不安定。
「人生ってなんだろう?」と、自問自答をし始めました。

このまま、西洋医学の治療をしていても良くならないと思い、代替医療を調べては試していました。
鍼、カイロ、気功など、施術してもらった時は良いのですが、見違えるほどの効果はありません。
精神面でも、スピリチュアル本を読み漁り、様々な宗教の門を叩き、占いに凝ったり、瞑想をしたり、過去世をみてもらったり、「ありがとう」を何万回も言ってみたりと、色々試してみました。一番簡単だったのが「愛しています」という言葉を自分に言うことでした。

病気が治るほど体調は改善しませんでしたが、「感謝する」という概念や「幸せ」について考えたことがなかったので、とてもいい勉強になりました。
そんな時、2009年の夏にトラブルを起こして友達に怪我をさせてしまいました。
その頃は、セミナーなどの参加もやめていました。体調も改善の余地がないのは、わかっていたのですが、認める事が出来ませんでした。

「この先、一生点滴生活かよ」と、思うと夜泣いていました。点滴生活を始めて7年が過ぎていました。
 
2010年の秋頃、主治医の先生が変わるのを契機に、精密検査をして治療方針を検討することになりました。もちろん、手術することを前提です。

この決断の時、わたしの中で「腸さん、もう疲れたでしょ。わたしのせいでこんなにしちゃってごめんね」という、感謝の気持ちが湧いてきました。

「自分の身体が自分に病気という形で悪さをするのか?」という問いにやっと納得のいく答えがみつかりました。
「身体は、何時でも最高最善の行動をとる!」でした。

検査の結果、再度手術をすることにしました。
手術をしても、最悪は、人工肛門にして、小腸も残存がどれ位の長さになるかはわからないとのことでした。怖さは、ありましたが迷いはなかったです。

レントゲンやCTの写真を観てみると、酷い状態でした。腸が癒着してだんご状に固まっているのです。身体に申し訳ない。

「本当にありがとう、手術でとっちゃうけど先に休んでいて、いままで気づかなくてごめんね。愛しているよ!」と、お腹をさすりながら語りかけました。この時、自分を愛することの大事さに気づきました。

当初、手術する病院は、東京の病院にする予定でしたが、先生の紹介で仙台の労災病院で手術することに決めました。
翌年の2月に手術をすることになり、1月から、完全絶食で手術に備えていました。
 
ところが、1月の末から熱が出て炎症の数値も上がって体調がすぐれません。
実は、この時すでに感染症に罹っていました。2月14日に仙台の労災病院に転院して20日前後に手術の予定でしたが、カテーテルの雑菌から感染症が悪化して肺炎をおこしてしまい、手術は延期となりました。

体調が安定したので、手術を3月9日に決めました。術前の説明を受けお腹にストーマの場所をマーキングして明日の手術に備えました。一度目の手術で点滴生活になった恐れがよぎります。最悪の状況を考えると、本当に怖かったです。

当日は、母が付き添ってくれました。強気な態度で「行ってくるよ」と話して、オペ室に入りました。
ちょうどその日は息子の中学の卒業式だったので、朝メールで「これから手術します。卒業おめでとう」と送りました。

麻酔をセットして、マスクを付けたら意識がなくなっていました。
気が付くと、ベッドの上でした。両親が、心配そうに見守っています。
手術は、成功し小腸は2mになりましたが、経過をみて食事も取ることが出来るようです。人工肛門の心配もありません。

母の第一声が「大丈夫?手術中震度5の地震があったのよ」でした。
「大丈夫だぁ」と答えて感じたのが「あれ、何かが違う」です。うまく表現できませんが、空間が違うのです。嵐の中を生きてきた感じが、空が澄んで穏やかな感じがするのです。
身体もとても軽く「今回は調子がいいよ」と話していると、父に「無理しないで、ゆっくり休みなさい」と一喝されました。

息子からも、「手術終わった?卒業しちゃったよー」とメールが入っていました。無事に終えたことを伝え、眠りました。
  
経過は良好で、2日目にはベッドから立って歩行練習をしました。お腹の傷は痛かったのですが、廊下まで歩きました。疲れたのでベッドに戻って休んでいた時に突き上げるような揺れを感じたのです。
「地震だ!」揺れの激しさが増していきます。今まで体験したことのない揺れです。

わたしは、ベッドの手摺りにつかまって耐えていましたが、母や看護師さんは立っていることが出来ません。ロッカーはガタガタ倒れそうになり、ベッドも右へ、左へ動きます。阿鼻叫喚とはこのことだと思いました。
 
地震は、長かったです。その時、わたしは恐怖でおかしくなっているのか、笑っていました。
「こんな体験をさせるんだ」肺炎はそのための時間調整かなと思いました。
わたしは、東日本大震災を現地で体験したのです。

インフラはすべてストップし、非常電源は作動しましたが、暖房は効きません。夜は、寒さと余震の怖さに寝ることが出来ませんでした。

翌朝になって、被害の状況わかるにつれ驚くばかりです。
被災地から搬送されてくる人、被災地の家族と連絡が取れない患者さん、家を失った看護師さん。
 
看護師さんに言われました。
 
「小野さん、幸せよ。ベッドで寝ることが出来るのですから」
 
その言葉に苛立ちと、病気でベッドに横になって生きている自分と、元気に働いていた人が、津波で流され亡くなってしまう現実をどう受け止めるべきか悩みました。

「人生とは?」と自問自答し、一人涙を流しました。
答えが見つからないまま過ごしていましたが、周りの状況とは別に体調は快方に向っているのを感じます。
 
そうしたら、インスピレーションで「人生とは、図々しく生きる」と浮かんできました。言葉は汚いのですが、わたしにはしっくりきました。

「どんな状況でも、人生を楽しみなさい」と言っているのではないかと。

気持ちがすっきりすると、体調も良くなっていきます。点滴も外れ、食事を取ることも出来ました。
経過は良好で、高速道路の開通を待って3月の末に退院しました。
帰りのパーキングでラーメンを食べました。「美味しかったぁ」

この病気は、震災で始まり、震災で終わった感じがします。今まで、自分を見つめてこなかった悲しみを災害という形で体験したのではないかと思います。

わたしには、天の声が聞こえないし、見えもしません。でも、自分に問いかければ、答えは返ってくるような気がします。
これからも、自分を愛し、人生を楽しみたいと思います。
いや、楽しむ!


☆小野高弘シニアトレーナープロフィール☆

1970年7月18日青森県八戸市生まれ。八戸工業大学卒。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第2期卒業。

24歳の時に難病のクローン病と診断される。
33歳に一度目の手術後、瘻孔を形成したため、高カロリーの点滴で過ごす生活を約10年送る。
2011年の3月に二度目の手術を仙台で行い、手術2日後に東日本大震災を経験。
人生の真理の探求に目覚め、自愛メソッド創始者の河合政実に出会う。

"自分を愛する"というシンプルなメソッドに衝撃を受け、実践して行くと、体調が急回復。
その体験が河合政実著「幸せを呼ぶ自愛メソッド」に「大震災とクローン病が教えてくれたこと」として収録され、読者から勇気づけられたとの声多数。

現在は、食事も普通に取る事ができるようになり、念願のハワイ島ツアーにも参加した。

☆小野高弘さんの・・・↓↓↓☆

○今楽しいこと・趣味
・瞑想、ドライブ

○好きな食べ物、飲み物
・ご飯、炭酸水

○好きな色
・オレンジ

○好きな休日の過ごし方
・読書

○子どもの時好きだった科目
・理科、社会

○自愛メソッドで一番好きなこと
・自分を大切にすること

○みなさんに一言。
・どんどん楽しみましょうね!

☆小野高弘シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》エグゼクティブセミナー仙台休日コース 2016年4月17日(日)~
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《自愛塾》スキンシップセミナー in 東京 2016年4月21日(木)
※小野高弘、天野晴美のダブルトレーナーです。
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