人生を成功せる最大の秘訣は自分を愛すること=自愛なのです。
自愛メソッドは、自分を愛することで人生を成功に導くメソッドです。


高橋和恵さん



「父への憎しみを乗り越えて」


自愛塾シニアトレーナー
 高橋 和恵 

伝統文化あふれる地方都市の老舗。
待望の赤ちゃんは男の子ではなく女の子。
しかも田舎では敬遠される丙午。
そんな環境のなかで、わたしは生まれました。

親の愛情が欲しい幼少期は商売していることもあり、わたしの子守をしてくれていたのは親ではなくお手伝いさん、目が見えず家のなかの隔離部屋にいた祖父の姉、そして当時飼っていたコリー犬のリンダでした。

6歳のとき弟が生まれました。待望の男の子ということで、わたしの存在自体がなくなった気分でした。幼いわたしの孤独感は、どんどんエスカレートしていくのでした。
わたしが怒られるときは必ずと言っていいほど「お前は前の用水を流れて来たのを拾ったんだ」とか「サーカスに売り飛ばすぞ」と怒鳴り散らされました。

当時流行っていたテレビドラマは主人公のこどもがもらわれてきた子でいじめられ、本当の優しい親と再会し幸せになるというストーリー。わたしにもいつの日か本当の親が現れると信じていました。

小学校に上がると同級生は休みになると、家族で旅行に行ったり、遊びに行ったりしていましたが、わたしは家が商売していることもあり、休みの日は孤独でした。その上まだ小さい弟の子守までしなければいけません。それでも大事なのは弟の方で、何でもかんでも悪いのはわたし。怒られるのはいつもわたしでした。怒られるというと聞こえはいいのですが、ぶん殴られ、ぶっ飛ばされるくらいに殴られます。小学生のわたしにはひとたまりもありませんでした。

ほとんど毎日のように殴られます。
ある日の夕食に事件は起こりました。確か、いわし料理だったと記憶しているのですが、「こんなもん食えるか」と食卓の料理を投げつけ、父が母を殴っていました。なんてひどい父だとわたしが確信した日です。父はわたしだけではなく、母にも暴力を振るっていました。
 
わたしが成長するにしたがって、父への憎しみはどんどん深まっていきます。
男尊女卑が著しい田舎。特に我が家は徹底した女性蔑視。父のわたしへの口癖は「メロのくせに」「女は引っ込んでろ」「親に楯突くとはとんでもないメロだ」など差別用語オンパレード。わたしが口答えすると決まって次の瞬間殴られていました。

ある日のことです。殴る蹴るの暴行の上、大瓶のビール瓶を壁で叩き割り、半分に割れたビール瓶でわたしの頭や顔を叩きまくりました。もちろんわたしは血だらけです。
その後、父の浮気の現場をわたしが目撃してしまうのでした。頭がおかしくなりそうでした。

父を殺してやりたい。殺すなら一撃ではなく、苦しんで痛めつけて、わたしがどんなに憎んでいるか思い知らせたい。江戸時代なら引きずりの刑だ。気が狂うとはこのような状態だろうなと冷静な自分もいました。親殺しは重罪だし、光の世界でもカルマを背負うというのでしょうか、やはりよろしくありません。父のせいでわたしの今世の人生が台無しになるなんて、もっと最悪だとわたしは別の方法での復讐を決意し、父親殺しを諦めることにしました。

父は経営者であり、PTA会長や地元の様々な役職をしていた関係で、わたしは常に優等生でなければなりませんでした。とにかく抑圧された環境で、よくグレずに成長したもんだと自分でも思います。

そして、そんな親だからこそ、わたしが卒業後は就職せず、花嫁修業しながらお見合い結婚を望みました。
わたしは親の反対を押し切って就職活動をし、生命保険会社に就職。ここからわたしの父に対する復讐劇の始まりです

職場は大変やりがいのある厳しい職場。会社のなかでも花形のエリート部署。代理店である税理士組織と連携して、わかりやすく言うと保険を取ってくる営業です。
まわりは一流大学出身のエリート男性。税理士も男性と、とにかく男性の多い職場でした。

メロと卑下されて育ったわたしは、男性には絶対負けない。しかもエリートと呼ばれる男性を打ち負かせ、トップになる。収入も男性には負けないと肩で風を切るような態度でした。

わたしは朝5時から夜中まで仕事し、睡眠時間は毎日3時間。座ってご飯を食べれる時間はまずありませんでした。そして全国トップにもなり、気がつくと勤続24年半。押しも押されぬお局様でした。
保険会社は大変厳しい仕事なので離職率も高いのですが、わたしは父を見返すという大きな目標があったので、頑張れたのだと思います。

でも気がつくと所詮サラリーマン。会社の歯車の一つ。わたしがいくら成績を上げても上司(男性)の評価であって、わたしの評価ではない。自己満足の達成感はあっても、わたしが出世するわけでもなく、給料が大幅に上がるわけでもありません。このままでは、ただのサラリーマンで終わってしまう。
 れでは父を見返すことはできないと思い、起業しようと決意。長年勤務した保険会社を2009年9月に退職しました。

その頃から億の収入を得ている多数の成功者の方々と出会い、東京に通うようになりました。ここから自己啓発セミナーに出まくりの生活の始まりです。成功するための自己投資として高額なセミナーにも出まくりました。
東京に月の半分位いたでしょうか。

ある成功者の勧めで元知恩院の住職のコーチングを受けることができました。まず指摘されたのがわたしには表情がない。ロボットだと。
保険会社で数字をとことん追いかけていましたので、目標に対するコミット力は半端ない。しかし心がない。住職はわたしの頭にあるバカコンピューターで動いていると絶対に成功しない。心の声を聞け。そしてトドメが父を受け入れないと成功なんかありえないと断言されたのです。

そのあともことごとく成功者たちはわたしに「あなたには力があるので何でもやりこなす。しかし成功したいなら父を許し受け入れなさい。そうしたらミラクルが起こる」と。
わたしはハンマーで頭を殴られた気分でした。
父を見返すために頑張ってきたのに父を許せだと。絶対にありえない。父を許すくらいなら成功なんかしなくていいとも思いました。
だからわたしは何とか自力で成功できないものかと足掻き続けるのでした。
そしてそのころに、とんとんさんと出会いました。

最初に出たのが、東京で開催された1DAYセミナーの『恋愛セミナー(現在のパートナーシップセミナー)』です。恋愛や結婚にはまったく興味がないのですが、スケジュール的に『恋愛セミナー』への参加となってしまいました。
セミナーのなかで、父へのラブレターを書きましょうというワークがあり、わたしはとんとんさんに「父へは憎しみしかありません。ラブレターなんか死んでも書けません!」と啖呵を切りました。とんとんさんに後から聞くとわたしのようなタイプは100人に1人くらいの割合だそうです。

その後も成功するためにと自己啓発セミナー参加のため、東京通いを続けるのですが、運命の東日本大震災の3月11日が訪れました。

わたしはちょうど新宿の35階建ての高層ビルにいて、ホテルにも帰れず、恐怖の一夜を過ごしました。地震に慣れていないわたしは本当に恐かったです。わたしの東京通いはここで終了です。退職して3年が経過していたので、手持ち資金も底をつき、地元で再就職をしようとしたのですが、不況の世の中、求人数自体がない田舎町では年齢的にも、まともな再就職も出来ません。

資金繰りもどんどん厳しくなり、藁をもすがる思いで『エクゼクテイブセミナー』に参加することを決意しました。決意するということは 父への憎しみと向かい合うということです。
これはわたしにとって、一大決心でした。

6回のセミナーがスタートし、4回目が終わったころだったか、わたしは歯が痛くなり、行きつけの歯医者に行きました。虫歯が進行しているということで、その日は笑気ガスと注射による麻酔での治療となりました。笑気ガスも麻酔も何度も経験しているので、わたしも慣れたものです。でもその日は違いました。
治療が始まり、数分が過ぎたころ、突如わたしにメッセージが降りてきたのです。

「和恵、父は孤独なんだよ。和恵のことが大事で大好きで心配でしょうがないんだ。だけど、父自身も愛情を受けず怒鳴られ殴られ育てられたから、どう接していいかわからないから自分の感情をコントロールできず和恵を殴るんだ。父は今でも家のなかで孤独感でいっぱいだ。だから浮気もするんだ。愛されたいんだよ。和恵と父は顔だけでなく性格もそっくりじゃないか。父の孤独感から救ってあげるのは和恵しかいない」

ここで治療は終わり、メッセージは中断しました。
治療中だったので、泣くわけにも行かず、溢れる涙を必死にこらえていました。
わたしは今すぐ父に謝り、そしてありがとうの言葉を伝えに行きたかった。もちろん現実世界に戻るとそんなことは出来ない自分でしたが、長年の苦しみから解放された瞬間でした。

父は、父以上に自分勝手で傲慢な祖父に育てられました。父はただ記憶の伝承で、わたしを育てただけなのです。父も祖父に認められず、苦しんで来ていたのです。

そして時同じくして約30年ぶりに小学校の同窓会の案内と小学校時代の写真の提供依頼がきました。
母が小学校のときのアルバムや文集などを大切に保管していてくれたので、いい写真がないか探すために、わたしが生まれてからの写真をじっくり見るという完璧なシチュエーションが与えられたのです。

改めてアルバムを開けてみると、以前は憎しみと偽りの笑顔アルバムだと思っていたのですが、本物の家族の笑顔がいっぱいでした。忘れていた家族でのクリスマスパーティ、仕事の合間に父がわたしと遊んでくれていた写真・・・。
数は少ないですが、両親にしたら精一杯してくれていたんだと気がつきました。

『エグゼクティブセミナー』を卒業したころには、あれだけ憎んでいた父を受け入れられるようになりました。父がしたことは正当化されるものではありませんが、単なる記憶の伝承であるとともに、父も完璧だったのです。
そして去年の8月からは自分がしたかった憧れの仕事である旅行会社で、添乗員に採用され、今は毎週全国に飛び回っています。

国内・海外両方の資格を取ったので、経験積んで海外も飛び回ろうと思います。
大変な仕事ですが楽しくて仕方ありません。
最近いろんな人に必ずと言っていいほど言われるのは、「人生楽しんでいるね」
これってわたしにとって、最高の褒め言葉なんです。

誰の人生でもないわたし自身の人生。

自分が楽しいと感じることだけ、これからやっていきたいと思っています。わたしは遂に被害者の人生から卒業しました。
最近では少しずつ年老いてきた父を面と向かってはまだ無理ですが、心のなかで大事にしていこうと思っています。
今までわたしの人生に登場してくれた悪役スターの皆さん、そして、すべてのご縁に感謝。
河合さん、いつもわたしの傍で応援して下さり ありがとうございました。


☆高橋和恵シニアトレーナー プロフィール☆

石川県金沢市生まれ。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第4期卒業。
《自愛塾》シニアトレーナー養成セミナー 第2期卒業。

生命保険の営業の第一線で25年勤続し、数々の記録を樹立するも、自分を大切にし自分の人生を生きると決意し退職。

自愛メソッドに出会い、人生を創造しているのは自分自身で、どんな世界も創造できることを確信し実践している。

現在は憧れの添乗員になり全国各地飛び回って自分自身を楽しんでいる。

『完全なる自愛メソッド』
体験談10 「父への憎しみを乗り越えて」に掲載

○今楽しいこと・趣味・・・愛犬ハリーと一諸に昼寝すること。趣味で、憧れのツアコンしてます。

○好きな食べ物、飲み物・・・おまんじゅう、コーヒー。

○好きな色・・・紫

○好きな休日の過ごし方・・・愛犬ハリーと一諸にお昼寝。

○子どもの時好きだった科目・・・英語 ※人生楽しむには 英語が話せる事が一番と思い、3歳から英語を習っていました。

○自愛メソッドで一番好きなこと・・・セミナーや とんとんカフェを企画して、いろんな方々と楽しむこと。

○みなさんに一言。・・・いろんな選択が可能です。自分が心地よいと思う方向に進めばOK。


☆高橋和恵シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》マネーセミナー (4/16盛岡)
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愛犬ハリー
和恵さんの愛犬ハリー


Love yourself and your soul will guide you.

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