人生を成功せる最大の秘訣は自分を愛すること=自愛なのです。
自愛メソッドは、自分を愛することで人生を成功に導くメソッドです。


天野晴美さん2


『宇宙で釣りをする!』


天野 晴美


わたしは、幼い頃から、スピリチュアルな世界に興味があり、占い、ヒーラー、カウンセリングを受け、自己啓発の様々な本を読みあさり、たくさんの自己啓発セミナーにも参加してきました。

いつも自分の“そと”の世界に頼りきり、わたしは“今、ここ、自分”を見ず、何か環境が変わればもっとよくなる、関わる人が変わればよくなると、外へ、外への世界に逃げてきた人生をずっと送って来ました。

いつも現れる同じ様な人間関係、そしてお金の問題。
すべてはわたしが創造していることを頭で理解しているけれども、現実はいつもと一緒。

そのパターンの1つがわたしは仕事で現れる近くの人に対して嫉妬心を抱き、相手を悪者にしてしまうことです。
ですから自分の本当の気持ちを伝えることはせずに、コミュニケーションーションをとることを避け、自分を悲劇のヒロインにして、その場を去って行くのです。

あるとき、一緒に仕事をしていた同僚に対して、嫉妬心を抱き、彼との関係がうまくいかないのを逃げたいのが1番の理由だったのに、わたしはヒーラーの方に相談に行って、「会社を辞めた方がいい」と言われ、それを鵜呑みにして、当時イギリスに留学したいと思っていたわたしは「イギリス留学をするから」とカッコつけて、貯金もないのに会社を辞めました。

そして、実家がある佐賀に帰った頃、当時いち早く『引き寄せの法則』を知っていたわたしは、それでイギリスに行けるものと思っていました。今ならわかるのですが、“本当の自分”に尋ねることもせずに、過去の記憶で判断して、“自分”に嘘をついていたので、『引き寄せの法則』はもちろん働きませんでした(笑)。

わたしはしばらく実家で過ごすことにし、その頃にクリーニングすることに出会い、なんとなくクリーニングをしていました。そこで奇跡的に父方の祖母の遺産をいただき、その資金でオーストラリアに2か月滞在しました。オーストラリアから日本に帰国したら、また1から出直そうと東京へ戻りました。

しかし、クリーニングを続けているものの、また同じ状況が現れます。

東京でとんとんさんと再会し、『自愛メソッド』に出会い、とんとんさんの『エグゼクティブセミナー』に参加するなかで、同じ事を繰り返すわたしの記憶が少しずつ紐解けていきました。
 
その紐解きの1つが、当時、わたしが4、5歳だった頃、母と従姉妹とわたしの3人で動物園へ行き、ライオンを見たときの記憶です。年下の従姉妹は「怖い〜」と怯えました。

そのときにわたしの母親が彼女を「大丈夫?」と抱きしめたのです。わたしはそれを見て、
自分も抱きしめて欲しいと思い、わたしも同じように「怖い〜」と言うのです。

ところがそのときには、わたしの母親は「大丈夫?」と言って心配して抱き寄せてくれる代わりに、すぐさまに「何言ってるの!向こうに行きなさい。」と言ったのです。
そう言われ、わたしは母親に拒絶されたと思い、ショックを受けたのです。

この経験は鮮明に覚えていて、大人になってもそれを思い出すと、わたしはオイオイ泣いていました。あのとき、本当は母に思い切り抱きしめてほしかったように、抱きしめてもらう、人生脚本の書き換えワークを行いました。面白いことに母にこのことを話しても、彼女はまったく記憶がないのです。

そして、しばらくたってから、「あーーー!!!こういうことだったのか!」とわかったのです。

わたしは動物園の出来事の日から、自分は母親に愛されていない悲劇のヒロイン子ちゃんと決めたので、人生の中であらゆる場面でそれを演じていたのです。

そして、また思い出したのが、母親の親戚が集まると、いつも親戚が年下の従姉妹を「可愛いね、可愛いね」と彼女を褒めるあまり、いや、褒めていたと幼いわたしは決めつけていたのですが、無意識に従姉妹に強烈な嫉妬心と抱くようになり、「わたしだってここにいるんだ!」と自分を認めて欲しい、認めて欲しいと思っていたのです。

ですから、わたしは、仕事では悲劇のヒロイン子ちゃんであり、自分が認められていないと勘違いをして苦しむ。本当にその繰り返しだったのです。

謎解きがわかった後、またクリーニングを続けていたら、母と電話で話していたとき、わたしが嫉妬していた、その従姉妹が自分の母親に「お母さんは、弟ばかりを見ていて、わたしのことを見てくれていない」って言ってたらしいとと聞き、またまた、わたしはハッとしました。

わたしはもう1人、あるきっかけで何年も連絡のとれない、母方の従兄弟がいるのですが、彼はある病気を持っており、それを理由に今は家にじっとしている状態なのです。

わたしには見えたのです。彼にも弟がいて、弟は地元で有名な進学校に通い、優良企業に就職しているのですが、弟が優秀なので、みんなが彼を褒めていたのを思い出しました。

わたしが幼い頃に嫉妬した従姉妹も、連絡がとれない従兄弟もみんな「自分を見て欲しい」と見えない嫉妬心に苦しんでいたことを・・・。

そして、また気づきました。実は、母親自身や、母親の兄弟達が自分は親に愛されていない、兄弟の方が可愛がられていると勘違いしてきたのではないか!と。

そのときにわたしは母親方一族の先祖や先祖が人間になる前、地球が誕生する前に宇宙の塵だった時代からの記憶の映像が浮かび、その記憶の連鎖がバラバラと崩れ、消えていくのを感じました。それに気づいたときに何とも言えないスーっとした感覚があり、それからというものの、わたしはこの人生は自分が創造しているということに本当に気づき始めました。

最初に『自愛メソッド』を始めた頃、わたしはまた今の会社を逃げ出したくて、逃げ出したくてたまりませんでした。「会社の方針がわたしには合わない、わたしがやりたい方向性と違う、わたしを理解してくれる人はいないんだ。わたしの近くに現れる人とうまくいかない・・・」

しかし、このことも自分が創造していると気づけたときから、世界は違って見えました。

どんな出来事も、誰かがわたしに言った言葉、それが、わたしが表面的には望んでいないことであったとしても、「あー、わたしはこういう記憶を持っていて、それを再生し、創造しているんだな、また悲劇のヒロインでいようとしているんだなあ・・・」と。

そう気づき始めた頃、わたしオリジナルの新しいクリーニングツールが舞い降りてきました。

それは、まず、記憶たちにそっと声をかけます。
「ここに居たかったら、まだ、ここに居ていいよ」
そうすると、記憶たちは「もう、宇宙へ旅たつよ」と言うんです。
そしたら、たんぽぽの綿毛が現れてその綿毛をフッと吹くと、綿毛は宇宙へ向かって飛んで行きます。

自分なりのクリーニングを行っているなかで、わたしは今の仕事に取り組む姿勢が完璧に変わりました。
“今、ここ”に向き合い始めたのです。
今まで仕事をしてきて初めてでした。
本気で真剣に取り組んでみよう、いや取り組み始めたのです。

そうしたら、どうでしょう、物事がうまくいこうが、いくまいが、どちらでも、今を生きている満足感があり、命が輝いているのを自分で感じています。

朝、会社に行く家から駅までの間が、重たい足取りではなく、空を見上げると何とも言えない充足感に感動しました。わたしが創造した世界なのです。

結婚に対しても、何となく気が重かったのですが、同じタイミングでこの春にわたしは結婚しました。
彼と出会って20年、付き合い始めて4年、結婚への不安や色々な想いも吹き飛びました。

そして、この原稿を一度書き終えた矢先に、面白い記憶が飛び出してきました。彼とお金のことで大ゲンカしたのです。今まで一緒にいて、1位か2位を争う大ゲンカでした。
きっかけは「結婚を期にマンションを購入したいね」という話しから、2人のお金の考え方の違い、溜め込んできた思いが爆発しました。

そのときは感情が溢れかえっていたのですが、ふと冷静にその感情を見つめた後に、記憶たちに声をかけてあげたのです。「まだ、居てもいいよ」と。でも記憶たちは宇宙に飛びたっていきました。
 
今までわたしが生きてきて出会った様々な体験、それはどんなに良くみえることも悪くみえることも、そこには何の意味もなく、「100%完璧なんだ!」と思っています。

わたしが『自愛メソッド』に出会って、一番大きなことは、繰り返しですが、やはり、“今、ここ”に生きれるようになったこと、“すべて100%完璧”だと思えるようになったこと、“すべては自分が創造している”ということ、それを体感したことだと思います。

とんとんさんの印象的な言葉のなかに

「いけすで釣りして、どうするの?宇宙は無限だから、宇宙で釣りをしなさい」

という言葉があります。わたしはこの言葉が大好きです。
ついつい日々のなかで、小さいいけすで釣りをして、小さな世界で小さい自分を創造してしまうとき、聞こえてくるんです。「どこで釣りするの?」って・・・(笑)
わたしは思いっきり言います。「宇宙で釣りをします!」と・・・。
 
自分を愛して、宇宙に釣り糸を垂らせば、命は輝きだす!
心からそう思います。


☆天野晴美シニアトレーナープロフィール☆

佐賀県鳥栖市生まれ。
久留米大学法学部国際政治学科卒業。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第4期卒業。

幼い頃からスピリチュアルな世界に興味があり、外へ外へと「生きる」事の意味を探していた。

2008年に河合政実氏と出会い、その後、自愛塾のエグゼクティブセミナーに参加。 外に答えを求めていたものを、本当の幸せ、自分を愛する事に目覚める。 その体験が「自分自身を生きる! 人生を創造する自愛メソッド」の 「第10章 宇宙で釣りをする」というタイトルで掲載。

また、この体験談を書き終えた直後に結婚が決まる。 様々なアーテイストのマネージャーの経験をし、現在も音楽の仕事に携わりながら、自愛メソッドのトレーナとして活動中。

☆天野晴美さんの・・・↓↓↓☆

○今楽しいこと・趣味
最近、ジムに通い出しました。身体を動かす事が楽しいです。
感性を磨こうと映画鑑賞も積極的にやり出しました。
本を読んだ後、映画も鑑賞した後に感想をノートに
書き綴ることも始めました。

○好きな食べ物、飲み物
何と言っても「焼き鳥」!
イタリアンも大好きなんですが、、やっぱ焼き鳥です。
好きな飲み物は、ビール&ワインとコーヒーです。

○好きな色
紺が大好きで、ついつい紺の服ばかり集めてしまいます。

○好きな休日の過ごし方
ランニング、ジムで汗を流した後に、お酒を飲む!笑
もしくは、旦那さんと近所の公園を散歩します。
休みの日は早めにベッドに入り、ドテラのアロマオイルを炊きながら読書。
至福の時です。

○子どもの時好きだった科目
音楽です。

○自愛メソッドで一番好きなこと
色々、思考があーでもこーでもない、とか、感情が溢れたり、
何でこうなるのよ!とか、自分を責めてしまったりとか、そんな時あると思うのですが、
どんな事があっても、感じても、
「完璧なんだよね。」っていうところに立ち帰ると、
すーーーっと軽くなります。宇宙は完璧ですね^^

○みなさんに一言。
自愛メソッドは、シンプルでパワフルなメソッドですよね。
自分を愛する事、これが一番大事だなと感じています!
一緒に自分を愛して愛して愛しましょう!



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2016.03.20 / Top↑
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小野高弘さん


『大震災とクローン病が教えてくれたこと』


小野 高弘

わたしは、20歳の頃からお腹の調子が悪く、24歳の時にクローン病と診断されました。ちょうど、阪神淡路大震災が起きた時で、茫然としながらベッドの上でテレビを眺めていたのを覚えています。

入院したその日から、絶食になり点滴で過ごすことになりました。内視鏡などの各種検査を受け、診断されたのが特定疾患のクローン病です。病変は口腔から肛門までの消化管のあらゆる部位に起こり、主に小腸と大腸に多く、症状は、下痢、腹痛、下血、発熱、貧血などです。「えっ」・・・先生の言っていることが理解できませんでした。当分の間、絶食そして原因不明の病気・・・。

その頃は、まだ結婚したてで元妻が看病してくれました。一緒の時は、強がっていますが、夜、一人になると不安と恐れから泣いていました。3か月の点滴生活で病状が落ち着いたのを期に、東京の大学病院に転院することになりました。4月末には、子供も生まれ、1か月の自宅療養を経て6月から仕事に復帰しました。

2、3年はそつなく仕事をこなしていましたが、どこか病気を抱えていることを受け容れられず、自分では気付かずに自暴自棄になっていきました。
ギャンブルで借金を作り、それが家族に発覚し2週間の失踪。二度とやらないと約束しながら、またギャンブルに溺れ、2002年の春に離婚。
病状も悪化していて、狭窄になり半年後には入院そして手術することになりました。

手術は、2003年の2月に実家の八戸の病院で行いました。患部を切除すれば、病状は良くなるだろうと思っていましたが、術後の経過が悪く食事を取ると腹痛をおこし、違和感がありました。早く社会復帰したい一心で違和感を隠して6月に退院しました。

無理はいけませんね。温泉に入って部屋の片づけをして寝た翌朝、傷口に膿が溜まって腹痛をおこし、2日後に再入院になってしまいました。

さらに、悪いことが続いて膿瘍が破裂して皮膚ろうを形成してしまいました。
お臍の下にろう孔といって穴が出き、食事を取ると漏れてくるので、また点滴生活です。3か月間、様子をみましたが、ろう孔が塞がる気配はなく、この病院では再手術は出来ないと先生から言われ、経静脈栄養療法と言って胸にカテーテルを埋め込んで在宅で高カロリーの点滴を流し栄養を取って生活するしかないと先生に言われました。

今回も泣きました。両親と一緒に泣きました。約10ヶ月間、入院して退院出来るのが点滴を背負い、お腹にはストーマを付けて生活しなければいけないという現実。
しかも、休職して1年が経ち社会復帰しようと思っていましたが、仕事も辞めることになりました。
八方塞がりです。それでも、食事を抑えて生活していれば治ることを心に思い、生活していました。

一、二年と時が過ぎても、代わり映えのない生活。点滴をしているので、身体が冷えているのでしょう、二時間置きのトイレ。食欲、睡眠が満足に得られないため、情緒不安定。
「人生ってなんだろう?」と、自問自答をし始めました。

このまま、西洋医学の治療をしていても良くならないと思い、代替医療を調べては試していました。
鍼、カイロ、気功など、施術してもらった時は良いのですが、見違えるほどの効果はありません。
精神面でも、スピリチュアル本を読み漁り、様々な宗教の門を叩き、占いに凝ったり、瞑想をしたり、過去世をみてもらったり、「ありがとう」を何万回も言ってみたりと、色々試してみました。一番簡単だったのが「愛しています」という言葉を自分に言うことでした。

病気が治るほど体調は改善しませんでしたが、「感謝する」という概念や「幸せ」について考えたことがなかったので、とてもいい勉強になりました。
そんな時、2009年の夏にトラブルを起こして友達に怪我をさせてしまいました。
その頃は、セミナーなどの参加もやめていました。体調も改善の余地がないのは、わかっていたのですが、認める事が出来ませんでした。

「この先、一生点滴生活かよ」と、思うと夜泣いていました。点滴生活を始めて7年が過ぎていました。
 
2010年の秋頃、主治医の先生が変わるのを契機に、精密検査をして治療方針を検討することになりました。もちろん、手術することを前提です。

この決断の時、わたしの中で「腸さん、もう疲れたでしょ。わたしのせいでこんなにしちゃってごめんね」という、感謝の気持ちが湧いてきました。

「自分の身体が自分に病気という形で悪さをするのか?」という問いにやっと納得のいく答えがみつかりました。
「身体は、何時でも最高最善の行動をとる!」でした。

検査の結果、再度手術をすることにしました。
手術をしても、最悪は、人工肛門にして、小腸も残存がどれ位の長さになるかはわからないとのことでした。怖さは、ありましたが迷いはなかったです。

レントゲンやCTの写真を観てみると、酷い状態でした。腸が癒着してだんご状に固まっているのです。身体に申し訳ない。

「本当にありがとう、手術でとっちゃうけど先に休んでいて、いままで気づかなくてごめんね。愛しているよ!」と、お腹をさすりながら語りかけました。この時、自分を愛することの大事さに気づきました。

当初、手術する病院は、東京の病院にする予定でしたが、先生の紹介で仙台の労災病院で手術することに決めました。
翌年の2月に手術をすることになり、1月から、完全絶食で手術に備えていました。
 
ところが、1月の末から熱が出て炎症の数値も上がって体調がすぐれません。
実は、この時すでに感染症に罹っていました。2月14日に仙台の労災病院に転院して20日前後に手術の予定でしたが、カテーテルの雑菌から感染症が悪化して肺炎をおこしてしまい、手術は延期となりました。

体調が安定したので、手術を3月9日に決めました。術前の説明を受けお腹にストーマの場所をマーキングして明日の手術に備えました。一度目の手術で点滴生活になった恐れがよぎります。最悪の状況を考えると、本当に怖かったです。

当日は、母が付き添ってくれました。強気な態度で「行ってくるよ」と話して、オペ室に入りました。
ちょうどその日は息子の中学の卒業式だったので、朝メールで「これから手術します。卒業おめでとう」と送りました。

麻酔をセットして、マスクを付けたら意識がなくなっていました。
気が付くと、ベッドの上でした。両親が、心配そうに見守っています。
手術は、成功し小腸は2mになりましたが、経過をみて食事も取ることが出来るようです。人工肛門の心配もありません。

母の第一声が「大丈夫?手術中震度5の地震があったのよ」でした。
「大丈夫だぁ」と答えて感じたのが「あれ、何かが違う」です。うまく表現できませんが、空間が違うのです。嵐の中を生きてきた感じが、空が澄んで穏やかな感じがするのです。
身体もとても軽く「今回は調子がいいよ」と話していると、父に「無理しないで、ゆっくり休みなさい」と一喝されました。

息子からも、「手術終わった?卒業しちゃったよー」とメールが入っていました。無事に終えたことを伝え、眠りました。
  
経過は良好で、2日目にはベッドから立って歩行練習をしました。お腹の傷は痛かったのですが、廊下まで歩きました。疲れたのでベッドに戻って休んでいた時に突き上げるような揺れを感じたのです。
「地震だ!」揺れの激しさが増していきます。今まで体験したことのない揺れです。

わたしは、ベッドの手摺りにつかまって耐えていましたが、母や看護師さんは立っていることが出来ません。ロッカーはガタガタ倒れそうになり、ベッドも右へ、左へ動きます。阿鼻叫喚とはこのことだと思いました。
 
地震は、長かったです。その時、わたしは恐怖でおかしくなっているのか、笑っていました。
「こんな体験をさせるんだ」肺炎はそのための時間調整かなと思いました。
わたしは、東日本大震災を現地で体験したのです。

インフラはすべてストップし、非常電源は作動しましたが、暖房は効きません。夜は、寒さと余震の怖さに寝ることが出来ませんでした。

翌朝になって、被害の状況わかるにつれ驚くばかりです。
被災地から搬送されてくる人、被災地の家族と連絡が取れない患者さん、家を失った看護師さん。
 
看護師さんに言われました。
 
「小野さん、幸せよ。ベッドで寝ることが出来るのですから」
 
その言葉に苛立ちと、病気でベッドに横になって生きている自分と、元気に働いていた人が、津波で流され亡くなってしまう現実をどう受け止めるべきか悩みました。

「人生とは?」と自問自答し、一人涙を流しました。
答えが見つからないまま過ごしていましたが、周りの状況とは別に体調は快方に向っているのを感じます。
 
そうしたら、インスピレーションで「人生とは、図々しく生きる」と浮かんできました。言葉は汚いのですが、わたしにはしっくりきました。

「どんな状況でも、人生を楽しみなさい」と言っているのではないかと。

気持ちがすっきりすると、体調も良くなっていきます。点滴も外れ、食事を取ることも出来ました。
経過は良好で、高速道路の開通を待って3月の末に退院しました。
帰りのパーキングでラーメンを食べました。「美味しかったぁ」

この病気は、震災で始まり、震災で終わった感じがします。今まで、自分を見つめてこなかった悲しみを災害という形で体験したのではないかと思います。

わたしには、天の声が聞こえないし、見えもしません。でも、自分に問いかければ、答えは返ってくるような気がします。
これからも、自分を愛し、人生を楽しみたいと思います。
いや、楽しむ!


☆小野高弘シニアトレーナープロフィール☆

1970年7月18日青森県八戸市生まれ。八戸工業大学卒。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第2期卒業。

24歳の時に難病のクローン病と診断される。
33歳に一度目の手術後、瘻孔を形成したため、高カロリーの点滴で過ごす生活を約10年送る。
2011年の3月に二度目の手術を仙台で行い、手術2日後に東日本大震災を経験。
人生の真理の探求に目覚め、自愛メソッド創始者の河合政実に出会う。

"自分を愛する"というシンプルなメソッドに衝撃を受け、実践して行くと、体調が急回復。
その体験が河合政実著「幸せを呼ぶ自愛メソッド」に「大震災とクローン病が教えてくれたこと」として収録され、読者から勇気づけられたとの声多数。

現在は、食事も普通に取る事ができるようになり、念願のハワイ島ツアーにも参加した。

☆小野高弘さんの・・・↓↓↓☆

○今楽しいこと・趣味
・瞑想、ドライブ

○好きな食べ物、飲み物
・ご飯、炭酸水

○好きな色
・オレンジ

○好きな休日の過ごし方
・読書

○子どもの時好きだった科目
・理科、社会

○自愛メソッドで一番好きなこと
・自分を大切にすること

○みなさんに一言。
・どんどん楽しみましょうね!

☆小野高弘シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》エグゼクティブセミナー仙台休日コース 2016年4月17日(日)~
http://www.nb-labo.co.jp/seminar/executive20160326.html

《自愛塾》スキンシップセミナー in 東京 2016年4月21日(木)
※小野高弘、天野晴美のダブルトレーナーです。
http://www.nb-labo.co.jp/seminar/skinship20160421.html


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2016.03.06 / Top↑
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岡田陽介さん5


「“自分”の声に耳を傾けたら」

自愛塾トレーナー
 岡田陽介

わたしはお金、恋愛などに以前から問題を抱えていました。いくつか自己啓発のセミナーに参加はしてみたもののなかなか解決に至りませんでした。
解決して楽になりたい、そんな思いから河合先生の『パーソナルセミナー』に参加させていただきました。
わたしが学び実践した「自分を愛する」ことのビジネスでの体験談を書かせていただきたいと思います。

そもそも「自分を愛する」ということは何なのか。わたしは自分の感情を受け入れ、自分自身にどうしたらよいのか尋ねてみる。そして心の声に耳を傾けることだと解釈してみました。自分の今までの常識や思い込みを捨てて、良い時も悪い時も自分自身の心の声と会話してみる。こんなことをわたし自身やっていました。

わたしは現在、某メガネ屋で販売員として働いています。しかし、給料は一般的な同年代の平均より少なく、休みも少ない。人もバタバタ辞めていく。自分も30代に入り将来を考え、今の会社では厳しいと思いはじめました。そして転職しようと考えました。

このままじゃ先が見えない。幸せな結婚だってできないのでは。同級生の友人たちにも収入じゃ大幅に先を越されているじゃないか。自分の感情に注目してみると本当にいろんなものが出てきました。「サラリーマン」という立場はしんどいだけだという会社を憎んでいる感情も出てきました。今まではこういった感情は押し殺していましたが、とても苦しいので一度自分自身と会話し、心の声を聞いてみようと思いました。こんな記憶もあったのかと認めることもしてみました。

しばらく経ったころ、会社内で変化がありました。ある日、珍しく社長と1対1でお話をする機会があり、いつもは素晴らしい社員を演じ、正解を考えてばかりの会話しかしできないわたしでしたが、何故かその時は社長に会社に対する不平不満をぶちまけていました。普通ならクビになります。 
 
しかし、社長も器の大変大きい方でした。すべてを受け入れてくれました。そしてわたしは提案をしていました。会社の成長のための売上向上は第一に考えるところですが、まず社員が生き生きと働ける環境がなくては会社は発展していかないのではないかと・・・。顧客満足があるなら社員満足があってもいいのではと・・・。
 
すると社長の方から、社員満足を充実させる仕事を君に任せたい。わたしと一緒にやろうと言ってくれました。人を喜ばせたりやる気を出したりすることは昔から好きだったし、やりたいと思っていたため願ってもない仕事となりました。
 
今では社内イベントを企画し、従業員の社内コミュニケーション充実を創る仕事にワクワクしながら取り組めています。自分の意見を伝え、それを受け入れてくれた社長には大変感謝しています。
 
驚いたことに、社長も私の自愛の影響を受けていただき、ご自身の記憶の消去と自分を愛することをお一人でしかも自然に始めていらっしゃいました。これをきっかけに他の企業経営者の方とすばらしい出会いがあったようで、感謝のお言葉をいただきました。
 
会社、社員、すべてのことは完璧でした。不完全だと思っていたのはわたしの記憶から出てきた思い込みと記憶だけでした。邪魔しているのは自分だけでした。わたしも在籍している限りワクワクしながら様々な事を学んでいきたいと思います。頭だけで考えて外の世界にフォーカスしていたら、今の気づきはなかったと思います。

自分を愛することで気が付いたこと、それはすべての人も物は完璧で、うまくいかないのは自分自身の思い込みと記憶だけが邪魔しているのだ!ということでした。
 
この気づきを得られたのはわたしの人生の最大の収穫です。これからも自分自身の心の声に耳を傾けていきたいと思います。


☆岡田陽介トレーナー プロフィール☆

千葉県柏市生まれ。日本大学 商学部 商業学科卒。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第3期卒業。

大学卒業後、人材系アウトソーシング企業に就職。続いて販売業へ転職するも待遇や仕事内容に不満を感じ、ビジネスや投資を始めるが失敗。多額の負債を負う。

河合政実氏との運命的な出会いからパーソナルセミナー第1期~3期を連続して参加し、「すべてはパーフェクトで、すべて自分が創造している」ということを学ぶ。

会社・スタッフ・商品・お客様、すべてがパーフェクトだったことに気づき、長年低迷していた店舗の売上をV字回復させ、店長に昇格。 その時のビジネスでの体験が、「幸せを呼ぶ自愛メソッド」に「"自分"の声に耳を傾けたら」として掲載され、反響を呼ぶ。

現在は「相手の力を最大限引き出す」ことをモットーに、トレーナーとしても活動中。

○近況
岡田陽介さん
ゆる体操を楽しんだり・・・

岡田陽介さん4
日々楽しく過ごしています!

○今楽しいこと・趣味
・サッカー・ゆる体操・身体を動かすこと・人の話を聞くこと

○好きな食べ物、飲み物
・ハイボール

○好きな色
・グリーン ブルー

○好きな休日の過ごし方
・ショッピング・料理・サッカー・ゆる体操・スポーツ観戦

○子どもの時好きだった科目
・数学

○自愛メソッドで一番好きなこと(たとえば、楽しいことをする、など)
・問題探しをしないこと

○みなさんに一言。
・自愛メソッドはまさに『完璧なメソッド』です!

心と身体がゆるんで、大変気持ちの良い体験ができます☆

ぜひ一度体験して下さい! 私が愛を込めてサポートさせて頂きます(*^^*)


Love yourself and your soul will guide you.

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2016.01.29 / Top↑
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高橋和恵さん



「父への憎しみを乗り越えて」


自愛塾シニアトレーナー
 高橋 和恵 

伝統文化あふれる地方都市の老舗。
待望の赤ちゃんは男の子ではなく女の子。
しかも田舎では敬遠される丙午。
そんな環境のなかで、わたしは生まれました。

親の愛情が欲しい幼少期は商売していることもあり、わたしの子守をしてくれていたのは親ではなくお手伝いさん、目が見えず家のなかの隔離部屋にいた祖父の姉、そして当時飼っていたコリー犬のリンダでした。

6歳のとき弟が生まれました。待望の男の子ということで、わたしの存在自体がなくなった気分でした。幼いわたしの孤独感は、どんどんエスカレートしていくのでした。
わたしが怒られるときは必ずと言っていいほど「お前は前の用水を流れて来たのを拾ったんだ」とか「サーカスに売り飛ばすぞ」と怒鳴り散らされました。

当時流行っていたテレビドラマは主人公のこどもがもらわれてきた子でいじめられ、本当の優しい親と再会し幸せになるというストーリー。わたしにもいつの日か本当の親が現れると信じていました。

小学校に上がると同級生は休みになると、家族で旅行に行ったり、遊びに行ったりしていましたが、わたしは家が商売していることもあり、休みの日は孤独でした。その上まだ小さい弟の子守までしなければいけません。それでも大事なのは弟の方で、何でもかんでも悪いのはわたし。怒られるのはいつもわたしでした。怒られるというと聞こえはいいのですが、ぶん殴られ、ぶっ飛ばされるくらいに殴られます。小学生のわたしにはひとたまりもありませんでした。

ほとんど毎日のように殴られます。
ある日の夕食に事件は起こりました。確か、いわし料理だったと記憶しているのですが、「こんなもん食えるか」と食卓の料理を投げつけ、父が母を殴っていました。なんてひどい父だとわたしが確信した日です。父はわたしだけではなく、母にも暴力を振るっていました。
 
わたしが成長するにしたがって、父への憎しみはどんどん深まっていきます。
男尊女卑が著しい田舎。特に我が家は徹底した女性蔑視。父のわたしへの口癖は「メロのくせに」「女は引っ込んでろ」「親に楯突くとはとんでもないメロだ」など差別用語オンパレード。わたしが口答えすると決まって次の瞬間殴られていました。

ある日のことです。殴る蹴るの暴行の上、大瓶のビール瓶を壁で叩き割り、半分に割れたビール瓶でわたしの頭や顔を叩きまくりました。もちろんわたしは血だらけです。
その後、父の浮気の現場をわたしが目撃してしまうのでした。頭がおかしくなりそうでした。

父を殺してやりたい。殺すなら一撃ではなく、苦しんで痛めつけて、わたしがどんなに憎んでいるか思い知らせたい。江戸時代なら引きずりの刑だ。気が狂うとはこのような状態だろうなと冷静な自分もいました。親殺しは重罪だし、光の世界でもカルマを背負うというのでしょうか、やはりよろしくありません。父のせいでわたしの今世の人生が台無しになるなんて、もっと最悪だとわたしは別の方法での復讐を決意し、父親殺しを諦めることにしました。

父は経営者であり、PTA会長や地元の様々な役職をしていた関係で、わたしは常に優等生でなければなりませんでした。とにかく抑圧された環境で、よくグレずに成長したもんだと自分でも思います。

そして、そんな親だからこそ、わたしが卒業後は就職せず、花嫁修業しながらお見合い結婚を望みました。
わたしは親の反対を押し切って就職活動をし、生命保険会社に就職。ここからわたしの父に対する復讐劇の始まりです

職場は大変やりがいのある厳しい職場。会社のなかでも花形のエリート部署。代理店である税理士組織と連携して、わかりやすく言うと保険を取ってくる営業です。
まわりは一流大学出身のエリート男性。税理士も男性と、とにかく男性の多い職場でした。

メロと卑下されて育ったわたしは、男性には絶対負けない。しかもエリートと呼ばれる男性を打ち負かせ、トップになる。収入も男性には負けないと肩で風を切るような態度でした。

わたしは朝5時から夜中まで仕事し、睡眠時間は毎日3時間。座ってご飯を食べれる時間はまずありませんでした。そして全国トップにもなり、気がつくと勤続24年半。押しも押されぬお局様でした。
保険会社は大変厳しい仕事なので離職率も高いのですが、わたしは父を見返すという大きな目標があったので、頑張れたのだと思います。

でも気がつくと所詮サラリーマン。会社の歯車の一つ。わたしがいくら成績を上げても上司(男性)の評価であって、わたしの評価ではない。自己満足の達成感はあっても、わたしが出世するわけでもなく、給料が大幅に上がるわけでもありません。このままでは、ただのサラリーマンで終わってしまう。
 れでは父を見返すことはできないと思い、起業しようと決意。長年勤務した保険会社を2009年9月に退職しました。

その頃から億の収入を得ている多数の成功者の方々と出会い、東京に通うようになりました。ここから自己啓発セミナーに出まくりの生活の始まりです。成功するための自己投資として高額なセミナーにも出まくりました。
東京に月の半分位いたでしょうか。

ある成功者の勧めで元知恩院の住職のコーチングを受けることができました。まず指摘されたのがわたしには表情がない。ロボットだと。
保険会社で数字をとことん追いかけていましたので、目標に対するコミット力は半端ない。しかし心がない。住職はわたしの頭にあるバカコンピューターで動いていると絶対に成功しない。心の声を聞け。そしてトドメが父を受け入れないと成功なんかありえないと断言されたのです。

そのあともことごとく成功者たちはわたしに「あなたには力があるので何でもやりこなす。しかし成功したいなら父を許し受け入れなさい。そうしたらミラクルが起こる」と。
わたしはハンマーで頭を殴られた気分でした。
父を見返すために頑張ってきたのに父を許せだと。絶対にありえない。父を許すくらいなら成功なんかしなくていいとも思いました。
だからわたしは何とか自力で成功できないものかと足掻き続けるのでした。
そしてそのころに、とんとんさんと出会いました。

最初に出たのが、東京で開催された1DAYセミナーの『恋愛セミナー(現在のパートナーシップセミナー)』です。恋愛や結婚にはまったく興味がないのですが、スケジュール的に『恋愛セミナー』への参加となってしまいました。
セミナーのなかで、父へのラブレターを書きましょうというワークがあり、わたしはとんとんさんに「父へは憎しみしかありません。ラブレターなんか死んでも書けません!」と啖呵を切りました。とんとんさんに後から聞くとわたしのようなタイプは100人に1人くらいの割合だそうです。

その後も成功するためにと自己啓発セミナー参加のため、東京通いを続けるのですが、運命の東日本大震災の3月11日が訪れました。

わたしはちょうど新宿の35階建ての高層ビルにいて、ホテルにも帰れず、恐怖の一夜を過ごしました。地震に慣れていないわたしは本当に恐かったです。わたしの東京通いはここで終了です。退職して3年が経過していたので、手持ち資金も底をつき、地元で再就職をしようとしたのですが、不況の世の中、求人数自体がない田舎町では年齢的にも、まともな再就職も出来ません。

資金繰りもどんどん厳しくなり、藁をもすがる思いで『エクゼクテイブセミナー』に参加することを決意しました。決意するということは 父への憎しみと向かい合うということです。
これはわたしにとって、一大決心でした。

6回のセミナーがスタートし、4回目が終わったころだったか、わたしは歯が痛くなり、行きつけの歯医者に行きました。虫歯が進行しているということで、その日は笑気ガスと注射による麻酔での治療となりました。笑気ガスも麻酔も何度も経験しているので、わたしも慣れたものです。でもその日は違いました。
治療が始まり、数分が過ぎたころ、突如わたしにメッセージが降りてきたのです。

「和恵、父は孤独なんだよ。和恵のことが大事で大好きで心配でしょうがないんだ。だけど、父自身も愛情を受けず怒鳴られ殴られ育てられたから、どう接していいかわからないから自分の感情をコントロールできず和恵を殴るんだ。父は今でも家のなかで孤独感でいっぱいだ。だから浮気もするんだ。愛されたいんだよ。和恵と父は顔だけでなく性格もそっくりじゃないか。父の孤独感から救ってあげるのは和恵しかいない」

ここで治療は終わり、メッセージは中断しました。
治療中だったので、泣くわけにも行かず、溢れる涙を必死にこらえていました。
わたしは今すぐ父に謝り、そしてありがとうの言葉を伝えに行きたかった。もちろん現実世界に戻るとそんなことは出来ない自分でしたが、長年の苦しみから解放された瞬間でした。

父は、父以上に自分勝手で傲慢な祖父に育てられました。父はただ記憶の伝承で、わたしを育てただけなのです。父も祖父に認められず、苦しんで来ていたのです。

そして時同じくして約30年ぶりに小学校の同窓会の案内と小学校時代の写真の提供依頼がきました。
母が小学校のときのアルバムや文集などを大切に保管していてくれたので、いい写真がないか探すために、わたしが生まれてからの写真をじっくり見るという完璧なシチュエーションが与えられたのです。

改めてアルバムを開けてみると、以前は憎しみと偽りの笑顔アルバムだと思っていたのですが、本物の家族の笑顔がいっぱいでした。忘れていた家族でのクリスマスパーティ、仕事の合間に父がわたしと遊んでくれていた写真・・・。
数は少ないですが、両親にしたら精一杯してくれていたんだと気がつきました。

『エグゼクティブセミナー』を卒業したころには、あれだけ憎んでいた父を受け入れられるようになりました。父がしたことは正当化されるものではありませんが、単なる記憶の伝承であるとともに、父も完璧だったのです。
そして去年の8月からは自分がしたかった憧れの仕事である旅行会社で、添乗員に採用され、今は毎週全国に飛び回っています。

国内・海外両方の資格を取ったので、経験積んで海外も飛び回ろうと思います。
大変な仕事ですが楽しくて仕方ありません。
最近いろんな人に必ずと言っていいほど言われるのは、「人生楽しんでいるね」
これってわたしにとって、最高の褒め言葉なんです。

誰の人生でもないわたし自身の人生。

自分が楽しいと感じることだけ、これからやっていきたいと思っています。わたしは遂に被害者の人生から卒業しました。
最近では少しずつ年老いてきた父を面と向かってはまだ無理ですが、心のなかで大事にしていこうと思っています。
今までわたしの人生に登場してくれた悪役スターの皆さん、そして、すべてのご縁に感謝。
河合さん、いつもわたしの傍で応援して下さり ありがとうございました。


☆高橋和恵シニアトレーナー プロフィール☆

石川県金沢市生まれ。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第4期卒業。
《自愛塾》シニアトレーナー養成セミナー 第2期卒業。

生命保険の営業の第一線で25年勤続し、数々の記録を樹立するも、自分を大切にし自分の人生を生きると決意し退職。

自愛メソッドに出会い、人生を創造しているのは自分自身で、どんな世界も創造できることを確信し実践している。

現在は憧れの添乗員になり全国各地飛び回って自分自身を楽しんでいる。

『完全なる自愛メソッド』
体験談10 「父への憎しみを乗り越えて」に掲載

○今楽しいこと・趣味・・・愛犬ハリーと一諸に昼寝すること。趣味で、憧れのツアコンしてます。

○好きな食べ物、飲み物・・・おまんじゅう、コーヒー。

○好きな色・・・紫

○好きな休日の過ごし方・・・愛犬ハリーと一諸にお昼寝。

○子どもの時好きだった科目・・・英語 ※人生楽しむには 英語が話せる事が一番と思い、3歳から英語を習っていました。

○自愛メソッドで一番好きなこと・・・セミナーや とんとんカフェを企画して、いろんな方々と楽しむこと。

○みなさんに一言。・・・いろんな選択が可能です。自分が心地よいと思う方向に進めばOK。


☆高橋和恵シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》マネーセミナー (4/16盛岡)
http://www.nb-labo.co.jp/seminar/money20160416.html



愛犬ハリー
和恵さんの愛犬ハリー


Love yourself and your soul will guide you.

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2016.01.14 / Top↑
人生を成功せる最大の秘訣は自分を愛すること=自愛なのです。
自愛メソッドは、自分を愛することで人生を成功に導くメソッドです。


酒井公久さん



「7年間7種類の薬づけのうつ病から職場復帰!」

自愛塾シニアトレーナー
 酒井 公久

とんとん先生と、最初にお会いしたのは、確か2010年の春でした。

しかし、その1DAYセミナーに申し込んですぐから変化が訪れました。
まず、霊能力を仕事にするようなことが自分には向かないことに気づきました。

そして、うつ病などの精神病を得意とする施療専門の西千葉のレイキ治療院(プラナ・ヒーリング施療院)を偶然見つけました。
そこで、どうしても減らせなかった薬の減薬に取り掛かることができました。

どうやらわたしにとっては、頭のノイズを取り除いてくれるため意思をしっかりと持つことができることが大きかったようです。
そして、レイキマスターの川原先生から、『ナイアシン療法』という言葉を教えてもらいました。

さらに、ナイアシンで検索すると、一つ隣の駅の稲毛に『機能性低血糖症』の治療のパイオニアの病院が出てきました。
そうして、まさに、とんとん拍子に、自分なりのアプローチが開けて行ったのです。

セミナーを申し込んでから4カ月、とんとん先生に会ってからまだ2ケ月でした。
そして、いろいろなことがわたしの中で整理されていき、うつ病という診断名が、実は、別の病気の症状だとわかりました。外側の

精神症状だけでなく、きちんとした検査を行うことにより、身体の問題としての切り口で治療するのです。
これで、最新の現代栄養医学による身体の治療と、自分自身を愛し、向き合うことによる精神的ケアの、二本柱が完成しました。
しかし、そこからがさらなる苦難の始まりでした。

栄養医学による治療は食べるものが限定され、それまで人工的なものに慣れてしまっていたわたしには正直美味しくないものでした。それを作ること、食材を用意することは、大変なことでした。

しかも、長年、精神科の薬を大量に飲み続けていたわたしの腸は細菌叢が壊滅的なダメージを受けており、小麦グルテンアレルギーになっていました。
そのため、腸内環境改善のため、ラーメン、うどん、パンなどを全てやめました。

そして、2010年の冬には、睡眠薬以外の断薬までこぎつけました。
しかし、薬で無理やり持ち上げていた心を、自分一人でコントロールすることは当時不可能でした。

わかりやすくいうと、ものすごく暗い気分になる注射を大量に射たれた状態で、笑っていろというようなものです。
そして、2011年1月から『パーソナルセミナー』東京コースに参加させていただきました。

そこからが、劇的な、まさにわたしにとっての奇跡の始まりだったのです。
そうして、なぜ、うつ病(機能性低血糖症)になったのかということと、それまでとは全く違う治療法へのアプローチについて、他人ではなく自分自身に聴いてみることにしてみました。

苦しみのさなかにある大勢の人たちと同じく、わたしもスピリチュアルの世界に当時迷い込んでいました。大学の哲学科で生きることについて学び、専攻では潜在心理学、卒論は深層人格の性差を研究したわたしですが、家系的に霊感が強かったこともあり、弟子は一生とらないと言っていた霊能師の先生に誘われるまま弟子になり、副業で占い師のようなこともやりました。

たくさんの人たちに感謝されましたが、確かにそれでお客様の人生や気分が好転するきっかけになったのかもしれませんが、なにか違うという思いが、日に日に強まっていったのです。

そして、人には偉そうなことを言っても、自分の人生への不満は募るばかりで、「あれがいけなかった」「あの人がああ言わなければ」「あの人がこうしてくれれば」といつも人のせいにばかりしていたのです。

そして、気づいたのは、誰の人生なのかということなのです。

いちいち、誰かにお伺いをたてなくては何も決められない・・・。それは違う。教祖も占い師もいらないのが本当なはず。今はそういう時代で、自分自身で未来は選択できるのが本来の姿だと・・・。

それから、とんとん先生や『パーソナルセミナー』の仲間たちから教えてもらった、11日間のヴィパッサナー瞑想に参加して、わたしたちはこの3次元世界ではあくまで個別のものだと気づいたのです。

他者のアイデンティティーが、自分と違うことをありのままに受け入れ、リスペクトすることで、初めてひとつになれる。
最初からみんなひとつだというようなスピリチュアルは見当違いで、この地上で、わたしたちが過去世の記憶も一度きれいに消去して、わざと霊能力も限定して、テレパシーだけではコミュニケーションできないようにしているのは、わたしたち自身なのだと・・・。

だから、わかり合うために死んでしまおうとか、来世があるから今世はもう消化試合だから捨ててしまおうとかというのは、本末転倒なのだと・・・。
それで、なんども繰り返した自傷行為も、そもそもやる意味がなくなってしまいました。
悲しい気持ち、さみしい気持ち、怒りの感情などが生まれたとしても、『そうなんだ、今そういう状態なんだね。さもありなん』と、思えるようになりました。

瞑想教室でもずっと持ち歩いていた、純度の高いエッセンシャルオイルを入れたブルーボトルの水を飲むことで、自動的にクリーニングのスイッチが入るようにしてあります。

たとえば、ブルーボトルが割れたとします。でも、その水を飲んだときの記憶を再生できれば同じ効果があるのです。時空を超えるイマジネーションは、今を生きる上でも十分有効な手法だと思います。

また、趣味のテニスを通じて、未来のクリーニングの実践をしています。ゲームですから、勝利することが目的ですが、その結果に執着することはない。その瞬間ごとのベストを、夢を追い駆けている、その瞬間こそが人生そのものなのだと、気づきました。

未来を勝手に決めつけて、結末を恐れるから、実力を発揮できなかったり、うまくいきそうだと思った瞬間に妙な力が入ってしまいどんでん返しをくらったりするのではないか。

だから、趣味でも仕事でも、わたしはどんな時も、未来の可能性の芽を摘まないこと、自分や人との可能性を拡げることだけは、止めないことにしています。
そして、一人ひとりによって見ている世界は違うし、感じ方も違う。なぜなら、わざとそういう風に、設定してこの世界に降りて来ているからです。

だから、人に介入するのではなく、自分を愛することが、この地上をすばらしいものに変えていくためには、一番シンプルで確実。そこに、立ち返って今ここにいるんだと感じています。

おかげさまで、今年の4月に2度目の休職を終えて1年振りに復職することができました。
今わたしが行っていることは、職場で過ごす一日の中で10分だけでも必ず職場やその仲間たち、それから、関連部署、大切なお客様、そしてこの世界全体が、少しでもより良い方向に変わっていくように、そのための行動をこの現実世界に対して行うことです。

50人の仲間たちが、同じことを始めたら、一日中それを行っている人がいるのと同じことになります。これは、起業などせず経営者でなくとも、可能なはずです。

そして今思うのです。わたしたちの可能性は無限だと…。
過去から類推した未来の虚像を恐れるのではなく、手の届く範囲を拡げつつ着実に目の前の現実を少しずつ変えて行けば、未来は大きく自分の望んだ方向にシフトしていく。あとは、それを継続さえすれば、想像すらできなかったほど、違う未来に立つことができる。

もう手法なんて、なんでもいいんです。ただ、その人なりのアプローチがあって、その人にとっての幸せや輝きを感じられる瞬間こそが大切なのだと感じています。

本当の自分自身を隠していた顕在意識のわたしを、今までも、今も、これからも、愛してくれる、すべての人たちとわたしの潜在意識にありがとう。

※すべてのひとに当てはまるわけではありません。ただ、少なくとも、ご自分なりのアプローチを探すヒントになればとは思います。


☆酒井公久シニアトレーナープロフィール☆

1968年2月20日名古屋生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。
《自愛塾》シニアトレーナー養成セミナー 第1期卒業。

2003年より機能性低血糖症となり、7年間の闘病を経て、2010年に河合政実氏と出会い、記憶を愛すること(クリーニング)は誰かに頼らなくても自分自身でどんな状況でもできるという衝撃の事実を体感。

その後、第2回・第3回 パーソナルセミナー東京コースを受講し、自分を愛し宇宙からの愛を受け取ることで、医師から一生飲み続けることになるといわれていた薬から解放され、自分自身の人生を歩み始める。その体験が「幸せを呼ぶ自愛メソッド」の、「第6章 宇宙を愛する」に、体験談7として収録されている。

現在は、すべてのひとは100%完璧であり、宇宙はすべて愛でできているという信念のもと、自愛塾のトレーナーとして活動している。

○今楽しいこと・趣味
日々を大切に生きること
テニス
読書
温泉(旅行)
映画鑑賞
美味しいものを作ったり
美味しいお店を探すこと

○好きな食べ物、飲み物・・・パスタ、鍋料理、野菜たっぷりラーメン、白ビール、ワイン、水

○好きな色・・・緑色

○好きな休日の過ごし方・・・アロマオイルを入れたお風呂で自愛メソッドを実践すること

○子どもの時好きだった科目・・・理科(特に、実験)と、国語

○自愛メソッドで一番好きなこと・・・セミナーで、とことん話を聴き、答えを一緒に導きだして、受講生さんが腑に落ちてくれた時

○みなさんに一言。・・・この世界には、愛と、その反対を見せてくれるものしか存在しません。ですから、私たちの世界は愛で包まれているのです。


☆酒井公久シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》エグゼクティブセミナー東京日曜コース(2016/3/6~)
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自愛メソッドは、すべてを宇宙にお任せする「記憶の消去」と、未来を自ら創造する「イメージング」のコラボレーションに進化し、記憶の消去+イメージングの手法を用いた最強のメソッドとなりました。


斎藤哲子体験談


「50年許せなかった母を許せた瞬間」


齋藤 哲子

わたしにはふたりの母がいます。
生みの実の母と、実の母が離婚してわたしを一人おいて家を出て行ったあとに来た育ての母の二人です。
わたしは、わたしをおいて家を出て行った、生みの母のことを50年間、恨んでいました。

最後に母に会ったのは、32年前のことです。
わたしがまだ高校生だった頃でした。
 
赤ん坊のときに母と別れてから15年以上たって会いに行って、受験のために2週間一緒に暮らしたのですが、お互い傷つけあってまた飛び出してしまいました。
 
それから数年たって、謝りたいと思い、母に電話をかけても、私と名乗ったらすぐに電話を切られたので、完全にわたしの存在を母から切られたのだと思っていました。以来、わたしは、母親のことを忘れなくてはならない、でも忘れられない存在として生きて来たのです。恨みに思いながら・・・。

7年前、河合先生に出会い、自愛メソッドを始め、人生の転機を迎えます。
そして、自分の体験談が掲載された「幸せを呼ぶ自愛メソッド」と母への手紙を思い切って送ったのです。しかし、母からは何の返事もありません。これで、母親との縁は完全に切れたものとわたしは思いました。

あるとき神戸で、河合先生から「哲子さんは生みのお母さんに会いにいくべきだよ」と言われたとき、「なんて酷いことを簡単に言うのだろう。どれだけわたしが傷ついたのか知らないからそんなことを言えるのだ」と怒りと悲しみが沸き起こりました。
 
どうせ会いに行ったって、また玄関を閉めて追い返されるだけだと思ったのです。二度も三度も捨てられると立ち直れないと思いました。
 
河合先生は、「玄関閉めたってそれはお母さんの都合だから、哲子さんには関係ない」と言われましたが、関係なくてもわたしは傷つきます。
 
先月に高松に行った際に、河合先生から最後通告のようなことを言われました。
 
それは「お母さんに会いに行くべきだよ。哲子さんと同じように父親と生き別れた人に、お父さんに会いに行きなさいと言っていた人は、そのときはまだ行けなくて、あとから調べたら、僕が会いに行きなさいと言ったころに亡くなられていたんだよ」というものでした。
 
こんなことを言われたら、母のことがとても気になって仕方ありません。
でも、また母に拒絶されたら、母から会いたくないと言われたら、ショックで寝込んでしまいます。
そこで河合先生に「先生は、お兄さんやお母さんのこと(二人とも統合失調症で不慮の死で亡くなっている)からどうやって立ち直られたのですか」とお尋ねすると、「そんなことは知らないけれど、一瞬一瞬の感情を選択し続けているだけですよ」と言うのです。
 
その言葉がとても腑に落ちました。

そこで意を決意して、ゴールデンウィーク中に母親に会いに行くことにしたのです。
ところが当日の朝になると、なぜか前の日まではあった母の住所がどこを探してもありません。また、もしも母が留守であったらおいて帰ろうと書いたメッセージカードも、どうしたことかまるで見当たりません。
 
これは、行くなというサインだろうかと思い迷いましたが、自分自身に尋ねると、「記憶に騙されないように」と心に浮かんだので、何も考えないことにして、家を走り出て、電車に飛び乗りました。
 
母親に会うのが怖いと思いながら電車に乗っていると、知らないうちに勝手に涙がどんどん溢れて止まりません。
かすかに住所を覚えていたので、そこまで歩きましたが、家が見当たらないので、洗車をされているご近所の方に、親戚のふりをして尋ねると、母は4年以上前から老人ホームに入っているとのことでした。
 
タクシーで施設を訪ねると、母は寝たきりになっていました。
「幸せを呼ぶ自愛メソッド」の本と手紙を送っても、返事がなかったのは、そのせいだったのです。わたしはてっきり、昔のように無視されているとばかり思い込んでいましたが、とんでもない勘違いでした。

母は、片方の目は十分にあかず、はっきり発音をすることもできなくなっていました。
わたしのことがわかるかどうかと話しかけ、何度も名前を言うと、ようやくわかったようです。
 
「ごくろうさん、何歳になったの?」と言うので、「もう50歳になったよ」と答えると、「若く見えるね」と言うのでなんだかおかしく思いました。
 
ところどころ話が通じないので、「お母さんが生んだ哲子よ」とわたしが言うと、「哲学の哲に子どもの子と書くのね」と言いました。
 
父によくそう言われていたことや、父のことを思い出しました。
 
「子どもはいるの?」と母が聞くので、「結婚はしませんでした」と言ったら、「人には運命というものがあるから」と言うのです。
 
「お母さんに手紙を書いてきたよ」と言ったら、「読んでください」と言うので、周りの方もおられて恥ずかしかったのですが、声に出して読むことにしました。
 
「お母さんが大好きだけど、置いていかれたと思って恨んでいました。それはお母さんに連れて行って欲しかったからです。高校生のときにお会いしたとき、お母さんを傷つけることを言ってごめんなさい。お母さん、わたしを生んでくださってありがとうございました。感謝をこめて。」と・・・。
 
母に「連れて行って欲しかった」と改めて言うと、「わたしと来ると、死んでしまうから」と、しきりに「死んでしまうから・・・」と言うのです。
 
母が一生懸命話す言葉は、ほとんど聞き取れませんでした。
 
「お母さんは、食べ物は何が好き。」
「なんでも好きよ。」
「お饅頭とかは。」
「お饅頭も食べるよ。」
「じゃあ今度わたしが住んでいる神戸のお饅頭を持ってくるよ」と言ったら、「持ってこなくてもいいよ」と言ったので、笑ってしまいました。でも、あとで考えてみると、母なりに気を使ってくれたのだと思います。


「前に私の体験談を載せてもらった本を送ったのだけど・・・」と言ったら、「どんな本?」と言うので、「心理学の本」と言うと、「心理学は大学に入らないと学べない、高校ではないからね。でも、本に載せてもらうなんてスゴいね」と母が言うのです。「お母さんが賢く産んでくれたからねと言ったら、母はとても嬉しそうに笑いました。
 
実の母を訪ねて本当に良かったです。
涙がたくさん出て、あれから目の奥がジンジンとします。
 
母に会うまでは、「会ったって何も変わらない」「憎らしいだけで許せない」と思っていました。
でも何か力が抜けました。細胞がゆるんだ感覚があります。
 
河合先生、ありがとうございました。
もし母に会うことがなければ、わたしは生涯母を恨んだままだったことでしょう。
 
そしてお母さん、改めて、私を生んでくださってありがとうございました。
お母さん、愛しています。


齋藤哲子シニアトレーナープロフィール

《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第3期卒業。
《自愛塾》カウンセラー養成セミナー 第1期卒業。
《自愛塾》シニアトレーナー養成セミナー 第2期卒業。

幼少期より自我の確立に悩みながら成長。20才で瞑想法に出会い、メンタルヘルスや自然療法に興味を持つ。

6年前に河合政実氏と出会い、その後自愛メソッドで自分の心を整えることで、周りも幸せになることを体感。 人生は自分の心の投影であることを実感し、その体験談が「幸せ呼ぶ自愛メソッド」や「自分を愛する教科書」に掲載され、共感を集める。

現在は、《自愛塾》スタッフとして仕事をしながら、《自愛塾》シニアトレーナー&カウンセラーとしても活動し、今、この瞬間から自愛メソッドを始めれば、ダイナミックに人生が変わることを伝えている。


☆齋藤哲子さんの・・・↓↓↓☆

○今楽しいこと・趣味
家の掃除が好きです。
アロマテラピーも好きです。
自分を実験台にいろいろ試しています。


〇好きな食べ物、飲み物
和食が好きです。
シンプルなお味噌汁など最高です。
飲み物はワイン、それと白湯。


〇好きな色
ターコイズブルー、白、マゼンタ


○好きな休日の過ごし方
寝たいだけ寝てから掃除し、アロマで遊び、散歩に出かけ、山を歩くのが好きです。


○子どもの時好きだった科目
国語、音楽。


○自愛メソッドで一番好きなこと
自分の感覚を信じ、行動し、結果に自分で責任をとるところ。
自分を信じるというところ。


○みなさんに一言
最速最短の自愛メソッドで、
もう幸せを受け取りましょう~(^^)/
もうがんばらなくてもいいですよ~!!



☆齋藤哲子シニアトレーナーの今後のスケジュールはこちらです☆

《自愛塾》エグゼクティブセミナー神戸日曜コース 2017年4月16日(日)~
https://goo.gl/chTNdc


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2016.01.01 / Top↑
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大河内悦子さん



「遅れて届いた父からのラブレター」

自愛塾シニアトレーナー、カウンセラー
 大河内 悦子

わが家は父、母、4人兄弟(兄、私、弟2人)の6人家族。父は3人兄弟の末っ子、いつからか共同経営する工場から帰ってくると、酒を飲み暴れるようになりました。

兄が最初に捕まり殴られ始めると、わたしとすぐ下の弟は裸足で外へ逃げます。そのまま近所の公民館や工場の隙間に潜り込み、息をひそめて隠れます。父に見つからないように。寒い冬の夜、星を見ながら「なんでこんな家に生まれてきたのだろう」と思っていました。生きるのがつらかった。父が酔って寝てしまうと母が呼びに来て家に戻ります。誰かが父に刃向うと他の家族がとばっちりを受けます。そのため母からは「我慢しなさい」そう言われていました。「兄弟全員が優秀」と近所でも評判のわが家の実態はこれ。友人の誰にも言えず、家にも学校にも居場所がなかった。
 
そのうえ娘のわたしは、10歳頃、父から何度か性的いたずらをされました。当時は家族6人が川の字に寝て、母が朝ご飯を作りにいなくなると、父はわたしの布団に潜り込み、わたしの下部を触り、自分を押しつけてきました。わたしは何をされているのかわからず凍りつき、寝たふりをするしかありませんでした。そのうち初潮を迎えてそれはなくなりましたが、その後も父はわたしにセクハラのようなことをしてきました。なんで女に生まれたのだろう。自分が汚された思いと、女性である自分が嫌でした。
父も母も嫌い、実家も嫌い、でも逃げ出す勇気はありませんでした。

こんな家族ですから、私の兄弟はバラバラです。
わたしも結婚することで実家から逃げ出します。夫は父と正反対、怒鳴ることもない温厚な人、2人の可愛い娘にも恵まれ、やっとわたしの居場所ができました。遠方に住んでいましたが20年前、ある事情で故郷に戻り、実家の土地に家を建てて住むことになりました。少しは変わったかと思っていましたが、2人暮らしの父母は相変わらず喧嘩が絶えません。
 
わたしは実家の土地に家を建てたことで負い目があり、両親の夫婦喧嘩の仲裁に呼び出されるのです。「母を引き取れ」と父から電話がかかり、母を連れて我が家に泊めたこともあります。実家に救いがない母は、我が家を駆け込み寺代わりに使います。娘のわたしに甘えていたのでしょう。でもそれが重かった。わが家の鍵を持っていた母は勝手に入り、仕事で帰るとリビングでくつろいでいたり、洗濯物や台所を片付けたりしています。思い余って「やらないでいいから」と言ってもわかってくれません。
 
たまに兄弟が帰省すると父と必ず喧嘩して帰って行くので、あるときからは兄弟家族が帰省する度、仲介役として駆り出されました。良い娘を演じ、家族がうまく回る役割をずっと背負ってきた気がします。でも自分はどんどんすり減って行きました。
 
4年前実家が火事で全焼、父が亡くなります。助け出された母は1か月入院。退院後の母の受け入れ先を兄弟で話し合うことになりますが、誰も手を上げず・・・。母の精神的ケアも考え、結局、わが家が受け入れ先になりました。でもそれからわたしの苦悩の日々が始まるのです。とうとうわたしは自分の家に帰れなくなりました。
 
自分を変えようといろんなセミナーに行きますが、家に戻ると変わらない現実。セミナーはただの気晴らしにしかなりません。違う環境で育った夫にはわたしのこの状態は理解できるはずもなく、心許せる友人は「依存だから」とわたしの元を去り、わたしは途方にくれました。
 
そんなある日、母と娘とわたしの3人で温泉に行ったとき、わたしは母の背中を洗うことができなくなっていることに気づきました。母に触れないのです。「もう無理だ・・・」
 
そんな時に河合さんの「自愛塾の講演会」が名古屋であると情報を見つけました。「自分を大切にしなさい」そんなメッセージが浮かんでいたわたしは「これだ!」と思い参加します。手を挙げ「母との同居がつらい、別居したいが親不孝娘になるのが怖い」とシェアすると「親孝行しましたね」「家族には家族の人生がある。心配することはありません」河合さんに言われ、「え~親孝行?!このわたしが?」とびっくりします。自分をずっと責め続けていたわたしは許されたと涙しました。いつも自分を後回しにして、人の役に立つことで自分に価値をつけてきたわたし。でも、わたしのなかの小さなわたしは悲鳴をあげていました。自分を大切にしてなかったのです。それからわたしは自分と向き合うことを始めます。
 
そのときちょうど大阪で『エグゼクティブセミナー』があり、そのまま参加することにします。わたしにとっては冒険でした。「ぼろぼろになった自分を何とか建て直して、自分の道を見つけたい」藁をもつかむ思いでした。同時に河合さんの1DAYセミナーやとんとんカフェ、講演会のコーディネーターもさせていただく機会をいただきました。
 「コーディネーターは、参加者の記憶とつながる自分の記憶が加速度的に湧きあがるので、きついこともあるけど、クリーニングが済んだらすっきりするよ!」
河合さんにそう言われ、チャンスだと思いやってみることにしました。
 
大阪の『エグゼクティブセミナー』では、自分の人生のほとんどが両親との関係に基づいていると知りました。男性は父の記憶、女性は母の記憶、両親のクリーニングをしなさいと言われました。自分で思い当たることばかり、さっそくクリーニングを始めました。
 
『エグゼクティブセミナー』で半年間両親のクリーニングを続け、1DAYセミナー、とんとんカフェのコーディネーターをし、一つ終わる度に自分の自信が戻ってきます。友人が言い残した「依存」とは自分の無価値観を他で埋めようとすることでした。自分を後回しにして他に尽くし評価されても、自分はどんどんすり減るだけ。わたしのなかの小さなわたしは悲鳴をあげていました。でも本当は誰かの評価ではなく、ありのままの自分を認め、自己価値、自己肯定感をあげればよかった・・・。河合さんはいつもわたしを100%完全な存在として見守ってくださいました。それはまるで本当の親のようでした。
 
同時に母は一人暮らしを始めます。母は75歳、一人暮らしは初めて。別居の話が出たとき、母は「捨てられる」と泣き、親不孝娘と思われるという不安がまた出ました。クリーニングすると「母は100%完全、私も100%完全、だから大丈夫」と声がし、それぞれが自立への道を歩きます。すると母は一人暮らしを満喫し楽しそうです。「一人暮らし=不幸」から「自由への選択」へと書き換えられたのです。実際、母はわたしたちと暮らすことで我慢をしていたようでした。クリーニングが進んだのか母との関係もずいぶん穏やかになりました。
 
大阪での『エグゼクティブセミナー』が終わり、東京で『トレーナー養成セミナー』が始まりました。すると申し込みをしたものの何度かやめたくなるわたしが出ます。今までの人生もこのパターンが起こり、仕事も友人関係も順調なのに途中で壊す癖がありました。セミナーのとき「この原体験は何?」自分に投げかけておいたのです。

 『トレーナー養成セミナー』初日から戻った次の朝、その映像が浮かびました。
それは中学1年生の子供会のお泊りキャンプ。わたしは兄と父と参加しました。
父は父兄として、バーベキューの支度などがありました。初めてのキャンプで楽しく帰ってきたわたしは、父にいきなりぼこぼこ殴られます。一体何が起きたのかわかりませんでした。父はわたしの頭を拳骨で殴りながら「なぜ手伝わなかったんだ!疲れてるのにお前たちのせいで休みに駆り出されて」母は泣きながら「お前が悪い!」と助けてくれません。そう言えば兄は父の顔色見て手伝っていたことに気づき、「ごめんなさい、ごめんなさい」とわたしは頭を抱えながら謝るしかありません。
 
この出来事が、わたしは楽しんではいけない、自分がやりたいことを後で止める原因になっていたことに気づきました。
でも「わたしが自分を止める癖は他の家族が殴られないように守るため、わたしは優しかっただけだ」とわかり、それと同時に「母は守ってくれなかったのではなく、これ以上家族が殴られないように父に抵抗しないことで守ってくれていたんだ」と気づいたのです。
 
母の愛と自分の愛に気づいた瞬間、わたしは声をあげて泣きました。
「もう終わったんだよ!自由にしてもいいよ」そう許可したら自分でやりたいことがやれるようになりました。
 
それからわたしは自分がやりたいことを止めなくなりました。この出来事を後に母に話すと「いつかわかってくれる日が来ると思っていた」涙ぐむ母がそこにいました。実は母も苦しんでいたのです。
 
11月は河合さんと高山鮎香さんのコラボ講演会。
コーディネーターのわたしは母を誘うことを思いつきました。母は快諾。当日の朝、母にラブレターを書いて読もうと浮かび、直前に書き上げました。河合さんに会ってそれを話すと、同じこと思っていたとのこと。サプライズにしたいので、ラブレターのことは母には内緒で講演会が始まりました。そして母と前に出てわたしが生い立ちを話し出すと、母は当時を思いだし涙、わたしも涙、会場もほぼ全員が涙。そして、ラブレターを読み、その場で母と大人になって初めてハグできました。
 
これがきっかけで、わたしは素直に母に甘えられるようになりました。それまで「ばあさん」としか呼べなかったわたしが、その日を境に再び素直に「お母さん」と呼べるようになったのです。
そして自愛を続けた12月、とんとんカフェの会場へ事前クリーニングに行った冬至の前にそれは起こりました。心に引っ掛かるものを感じながら『自愛メソッド』をし続けたとき、その映像が浮かびました。
 
保育園の運動会、母の手を握り甘えていたわたしの写真。その時「この写真は誰が撮ったの?」と声が聞こえました。
「あっ!」
急に号泣しそうになるのをこらえ、家にすぐ戻り写真を探すと、甘えているわたしの手を握り、カメラに向かう母は笑顔でした。そしてカメラを構え幸せそうに笑っていた父がそこにいました。
 
そう、その写真は父が撮ったのです。本当は父と母は仲が良かったのです。わたしを愛してくれていました。思えば一日中工場で働く父の唯一の趣味は写真。家族で旅行に行き写真を一杯撮っていて、火事の焼け跡からは、不思議なことに、お金と写真は焼けずに残っていました。その1枚1枚が「愛してるよ」と言っていたのです。
 
父が残してくれた「愛してるよ」は、幸せな時間を切り取った一杯の家族写真。口下手で素直に言えなかった父が、亡くなって4年後にやっと届いたラブレター。父と母に愛されていたことを受け取ったら、すべてが愛と感謝でいっぱいになりました。きっとわたしの周りは何も変わっていません。わたしがシフトして世界が変わったのです。
 
今これを長良川の畔のテラスで書いています。隣の家族連れ、父が娘の写真を撮るのを見ながら、いつかのわたしの思い出と交差して微笑んでいます。こんな穏やかな日々、あのときは想像できなかった・・・。
 でもわたしが見えてなかっただけでした。
 「世界はいつも愛であふれている」ということを・・
 ここに導いてくださった河合さんはじめ、すべてのご縁へ、愛と感謝をこめて・・
「ありがとう 愛しているよ」

(「人生を創造する自愛メソッド」より)


☆大河内悦子氏プロフィール☆

岐阜生まれ。
自愛塾シニアトレーナー、カウンセラー。
《自愛塾》トレーナー養成セミナー 第1期卒業。
《自愛塾》カウンセラー養成セミナー 第1期卒業。

岐阜市立短大を卒業後、就職、結婚、2人の娘の母として幸せな生活を送っていたが、2009年春に人生の目的に目覚め、魂の探求を開始する。

さらに自愛メソッド創始者の河合政実氏に出会い、ありのままの自分を愛する事の大切さに気づく。 そして、トレーナー養成セミナー受講中に「すべては愛から出来ていた!」と自分の世界がシフトする体験に遭遇する。

これまでの体験が河合政実氏の新刊「人生を創造する自愛メソッド」に「遅れて届いた父からのラブレター」として掲載されている。

現在は日々の生活を豊かに楽しむ一方で、自愛塾トレーナーとして自分の人生体験を生かし「『ありのままのわたし』を楽しむこと」を提唱、多くの人の背中を押している。

○今楽しいこと、趣味・・・カメラ、目の前にいる人のキラリと光る表情を見ると、思わずシャッターに手が!

○好きな食べ物、飲み物・・・アイスクリーム、お寿司。

○好きな色・・・あお、蒼、葵、藍。

○好きな休日の過ごし方・・・娘 (26才)と じゃれあう 。かわゆいやつで、、、

○子供の頃 好きだった科目・・・音楽 。コーラス部に長年在籍していたため、独唱のテストになると、ついガチで歌い上げてしまい困りました 笑。

○自愛メソッドで一番好きなこと・・・完璧が腑に落ちると、枠がなくなり、どこまでも自由な世界を選択するようになること。

○みなさんに一言・・・自分を愛してくと、魂の求める方向へ人生がシフトします。ただただ 自分を愛してくださいね。

☆大河内悦子氏セミナースケジュール☆

《自愛塾》個人セッション(2016/1/13・名古屋)
http://www.nb-labo.co.jp/seminar/p-counsel20160113.html

《自愛塾》個人セッション(2016/2/10・東京)
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《自愛塾》エグゼクティブセミナー名古屋土曜コース(2016/2/13~)
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人生を成功せる最大の秘訣は自分を愛すること=自愛なのです。
自愛メソッドは、自分を愛することで人生を成功に導くメソッドです。


7月25日に発売予定となっています、新刊の『完全なる自愛メソッド』には、それぞれの立場から『自分を愛するプロセス』を語る11人のストーリーが掲載されています。

そのなかのひとつをここに紹介させていただきます。


中本成美野外教室


体験談8 「ありがとう。あいしているよ」
                             Narumi Candle



 わたしはキャンドルアーティストです。
 今から8年前はまったく異なる仕事をしていました。

 わたしが大きく転職をすることになったきっかけは、とっても溺愛していた愛犬を事故で亡くしてしまったことでした。実家の母が贈ってくれた、とってもかわいフレンチブルドックでした。
 あまりのショックで落ち込み、仕事ができなくなってしまいました。

 その日一日を生きているのも辛く、とにかく自分を癒そうと、リフレクソロジーやアロマセラピーのスクールに通い、キャンドル教室でキャンドルづくりを学びました。

 悲しくなったら自分の作ったキャンドルを灯して、愛犬との思い出に浸って心を癒していきました。時とともに少しずつ元気を取り戻し、「わたしが本当に辛かったときに癒されたように、周りを癒したい」と思うようになりました。
 そして、キャンドル教室の先生の勧めもあって、都内でキャンドルアーティストとして活動するようになり、今まで学んだアロマを伝えたりして、癒しの仕事を始めるようになりました。また希望を持つことが出来たことが、とても嬉しかったことを今日のことのように想い出されます。

 愛犬が亡くなる前からキャンドルが好きで、いろんな国に行ってはキャンドルを買って、灯していたのですが、キャンドルを灯していていつも気になることがありました。
 炎の先からススが出ることです。部屋の壁も黒くなるし、喉もイガイガしてきて、癒されないものもありました。わたしの作るキャンドルはススが出にくく、体に害のない原料を使って、心から癒されるキャンドルにしたいと、実験、研究を重ねていくうちに、素晴らしい原料に出会いました。

 それが「日本精蝋」という日本で唯一のロウ専門工場で作られるロウでした。しかも、その工場はわたしの地元の山口県の周南市(旧徳山市)の給島にあったのです。
 わたしは、大変驚くとともに、不思議なご縁を感じました。
 その美しい島で生産されているロウは、土に埋めれば微生物によって分解され、土に還るので、地球に優しく、世界的にも環境に優しいと高く評価されているロウでした。素材としての安全・安心度では、食品に近いグレードのもので、チューイングガムのなかにも10%ほど入っていたり、女性が使う口紅やクレンジングクリームにも入っていたりしているものなのです。
 こうして、本当に素晴らしい原料を使用したキャンドルを作ることが出来るようになりました。感謝の気持ちでいっぱいでした。

 ところが、今度は別の問題が起きました。
 仕事で大量にアロマを使用するようになってから、たまに頭痛がするようになりました。それはどんどん酷くなり、吐き気やめまいまでするようになり、ついには倒れてしまうまでになりました。その後さらに症状が酷くなり、アロマの匂いを少し嗅いだだけで、立っていられなくなってしまい、わたし自身がアロマを使用できなくなってしまったのです。
 アロマオイルを使用し始めてから5年目のことでした。

 これはもう仕事の方向性も見直さなきゃ・・・。それとも転職をしなくちゃいけないのかな・・・とも思いました。アロマオイルを仕事で長期間に渡り吸引してきたため、いつしか頭痛・吐き気・めまいがするようになってしまったのです。
 そして、わたし自身がまったくアロマに癒されないのです。悲しいけど、正直アロマオイルはもう取り扱えないと想い悩んでいたときでした。ときを同じくして、わたしは恋愛の方でも行き詰って悩んでいました。もう何もかも上手くいっていない状況で、完全に沈み込んでいました。

 そのとき、たまたまインターネットでオススメされている河合政実さんの著書「とんとんのホ・オポノポノ実践記」の紹介文が目に止まり、とても気になったので、本を取り寄せ読んでみると、驚くべきことがたくさん書いてありました。目からウロコがポロポロと落ちました。

 「とんとんさんに会って是非お話を聞きたい」と思っていたところ、偶然にも数日後に隣の県の福山市に来られることがわかりました。すぐに予約をして、とんとんさんに会いに行きました。

 とんとんさんは、大きな熊の縫いぐるみのような、可愛らしいシルエットをした人でした。ほんわかしていて暖かく、ふわふわとした綿菓子のような雰囲気のある方でした。

 その日は、仕事の話はせずに恋愛の相談をしに行ったのです。そのときは、とんとんさんに「お父さんのクリーニングをしてください」と言われました。そして「明日の1DAYセミナーにおいでよ」と言われたので、その日福山に宿泊することにしました。そしてその夜たまたまホテルのロビーでとんとんさんにばったり会って(すごい偶然です)、一緒にお話する時間をもつことができました。

 とんとんさんは、わたしがキャンドルアーティストの仕事をしていて、辞めるかどうか悩んでいるという話をすると、「知ってる?すごいアロマがあるよ」とおっしゃいました。それは、わたしが今まで知っているアロマオイルではなく、吸引・塗布・摂取ができるというアロマオイルでした。
 日本で通常販売されているアロマオイルは2%ほどに希釈しなければならないものなので、最初はにわかに信じることが出来ませんでした。

 ところがレモンのオイルの蓋を空けて、鼻に飛び込んできた香りは、今まで嗅いだことのない香りでした。直感的にこのオイルは安全で安心だと思い、その瞬間、仕事の悩みが解決したのです。
 数日前まで、出来るだけ嗅がないように、マスクをして手袋をはめて、アロマと関わっていたわたしがうそのようです。今では逆に、マスクのなかにアロマオイルを垂らして、心身ともに癒しを楽しんでいます。理想とは違い、あんなに苦しくて辛かったアロマ生活が、今では本来求めていたアロマ生活を送ることができていて、とても幸せを感じています。

 癒しのために始めたアロマのはずが、いつしか使えば使うほど体調を壊していき、本当に辛く悲しかったです。「癒し」という分野の仕事を選んだことで、気づけば「人を癒さなくては・・・」と義務感と責任感を感じ、みんなを癒すためにと、手袋をはめ、マスクをして仕事をしてきました。

 でも今はこんな幸せな職場はないと思うくらい素敵な香りに囲まれて仕事が出来て嬉しいです。
 とんとんさんに悩みを解決していただいたおかげで、再び仕事を続けていけることになりました。

 一方、恋愛の悩みは解決することが出来ず、6回コースの『エグゼクティブセミナー』を福岡で受けることに決めました。
 2回目の『エグゼクティブセミナー』を受けた後、父のクリーニングをしたら、なんだか心がすっとしました。
 そしてわたしは何年ぶりに父に電話をかけて、お墓参りへ誘いました。
 父との会話は思いのほか楽しくて良い時間が過ごせました。
 後日、こんどは母と父とわたしとで親子三人で食事をすることになりました。親子で会うのは何十年ぶりの再会でした。

 そのころ、ふとアロマキャンドルのお店を出したいと思っていたら、素敵な物件が見つかり、 とんとん拍子にすべて決まって、あっという間にお店(Narumi Candle Shop)を出すことができました。


中本成美キャンドルショップ


 すると地元のテレビや新聞など、マスコミからの取材をたくさん受けるようになり、多くの方にわたしのお店を知っていただくことになりました。来店客も自然に増え、「アロマキャンドルの作り方を教えて欲しい」という依頼をたくさん受け、アロマキャンドル作りの教室を開くと、たくさんの方に来ていただけるようになりました。

 『エグゼクティブセミナー』卒業後、しばらくして『トレーナー養成コース』を受け、さらに父に関しての記憶をクリーニングしていきました。

 『トレーナーコース』では最後に「卒業論文」というのがあるのですが、なぜだかわかりませんが、父に関して書くことが怖くて苦痛でしょうがなかったのです。
 でも、書き始めてみると父に関して、いろいろな驚く想いが浮上してきました。あれだけ大嫌いだった父に対して今はこれまでとはまったく違う感情があります。不思議と父を思い出しても嫌だとは思わなくなったのです。そして驚くことにわたしのなかで父は愛すべき存在に変わっていったのです。
 クリーニングしていくにつれてわかったのは、父は、ずっとわたしを愛していてくれていたということです。わたしも父のことが大好きでした。
 そして母までもわたしをちゃんと愛していてくれたことがわかりました。
 すべてが愛で出来ていることにも気づくことができたのです。

 とても不思議でした。
 周りで起こるすべての出来事がとても嬉しく、自分へのギフトに思えてくるようにもなりました。
 今、現在のわたしは、とても幸せです。わたしの人生に登場してくれているすべてはみんな完璧なのだろうって思えています。

 そんなふうに思えるようになった先月のこと、とても嬉しいニュースが飛び込んで来ました。
 なんとアロマキャンドル『Narumi Candle』が“周南ものづくりブランド”に認定されたのです。


中本成美周南ブランド受賞


 東日本大震災後、山口に戻って3年、『Narumi Candle Shop』を始めてもうすぐ2年になります。 お店の大家さんもとっても素敵な人でいつも仲良しです。看板犬もいます。


中本成美ラムネ


 現在は素晴らしいロウを原料にしたアロマキャンドルに、自分自身がいちばん癒されています。
 実は前の仕事は辞めたかったけれど辞めるきっかけがなくてずるずると先延ばしにしていました。
 わたしの愛犬がいまの仕事に導いてくれたのだと感謝しています。
 
 とんとんさん本当にどうもありがとうございました。
 そしてわたしの愛犬フクスケありがとう。
 そして看板犬ラムネありがとう。

あいしてるよ。


Love yourself and your soul will guide you.


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2014.05.05 / Top↑